映画「赤ちょうちん」で1974年にデビュー。「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」と発言するなど、個性派女優として人気だった秋吉久美子が、音楽ディレクターと結婚したのは79年だ。妊娠中にふと漏らした「おなかが大きくなるのは嫌、卵で産みたい」との明言が話題になったものである。
その秋吉が、ディレクター氏との10年10カ月に及ぶ結婚生活に終止符を打ったのは、1989年12月21日のこと。記者会見に臨んだ秋吉は離婚の理由について、
「私のわがままです。彼がいい人すぎて、理解がありすぎるので、私の方が心苦しくなっちゃって…。結局、いつまでも子供でいたかったんです」
大粒の涙を流しながら、そう説明したのだった。
とはいえ、自由奔放な彼女がひとりでいられるはずもなく、離婚直後には空間プロデューサーとの同棲が伝えられるなど、まさに恋多き女を謳歌していたようだ。
そんな秋吉が離婚会見から10年目の99年12月、交際を明らかにしたのが、17歳年下のイギリス出身の男性(当時27歳)だった。
秋吉はこの年の5月に沖縄に移り住み、7月から同棲。写真誌が2人の暮らす沖縄本島中部にある貸家を直撃し、同棲が発覚することになったのである。
秋吉と親しいテレビ関係者は当時、私の取材にこう答えている。
「2人はタイ旅行中に知り合い、意気投合。今年に入って沖縄のコテージで同棲生活を始めたそうなんです。なんでも家の中では『裸族感覚』で生活しているのだとか。つまり、すっぱだかということなんでしょうかね。秋吉は平日はジムに通ったり、スペイン語を勉強したりしているようで、『仕事がある時にだけ、東京に出稼ぎに来るの』と笑っていました。本当に幸せそうでしたよ」
そんなこともあってか、同年12月1日、連続ドラマの制作発表会見に現れた秋吉は、
「3カ月間、ドラマの収録で東京にいます。愛に犠牲は付きもの。(ドラマの収録があるので)クリスマスは我慢して、2000年を迎える瞬間は(彼と)一緒にいたい」
とノロケると、
「体力の続く限り、彼と付き合っていこうかな」
そう付け加えて、会場を沸かせている。
だからこそ、このイギリス男性と離婚後、50歳で24歳年下の日系アメリカ人と再婚した時には驚かされたものだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。