変な話、私は仕事柄、この三十数年で、芸能人の離婚記者会見を数百回も取材してきた。
とはいえ、人気商売である以上、その大半が原因を「性格の不一致」「嫌いになったわけでなくて」「お互いを尊重して」と、可能な限り、お互いが傷つかないよう繕うケースが多い。
ところが、全てをあまりに赤裸々に語ったことで、どんどん泥沼化させていくことになったのが、沢田亜矢子と元夫で所属事務所社長だった松野行秀氏の離婚劇だった。
コトの起こりは1997年12月3日。記者会見を開いた沢田が、
「たあいもない喧嘩も多かったけど、我慢できなくなりました。他人なら『クビにします』と言えるけど、夫婦である以上はねぇ…。今後はお互い尊敬できる形で、別の道を歩むのも一つの方法でしょうね」
なんと、マネージャーとして同席していた松野氏の前で、そう語ったのである。
さらに1カ月半後の1月18日、今度は福島瑞穂弁護士(現・社会民主党党首)同席のもと、記者会見に臨んだ彼女は、松野氏から精神的DV被害を受けていた、と告白。しかも、
「殴るというより、つねったりされることが多くて。新幹線に乗っていて、爪で皮膚がえぐられるくらいつねられたり。私が重たい荷物を持って歩いていると、軟骨を絞り上げられたり、髪を引っ張られてひきずり回されたこともあります」
赤裸々に語る彼女の言葉に、会場に詰め掛けた50人の報道陣からどよめきが起こったことは言うまでもない。
沢田は前年のクリスマスに一人娘を連れ、自宅から「緊急退避」し、この会見に臨んだ。一方の松野氏は沢田名義の自宅にとどまり、徹底抗戦の構えを見せていた。
自宅を訪ねると、手書きの名刺に「渦中の人」と書き入れた松野氏が現れ、こう語った。
「私は死んでも別れないと言っているわけではないんです。ただ、弁護士をつけるのではなく、2人で話し合って離婚という結論が出れば、それに従いたい。とにかく、2人だけで話し合いの場を持ちたいだけなんです」
しかし、その後も「夫婦間強制性行為疑惑」や、裁判では「性ビデオの提出」をめぐるドタバタと、果てしない泥仕合はエスカレートするばかり。
00年2月の一審で、原告の沢田が勝訴し、離婚が認められたものの、松野氏は控訴。判決は最高裁まで持ち込まれ、01年2月に松野氏の上告が棄却されて、正式に離婚が決定した。
その後、松野氏が「ゴージャス松野」を名乗り、ホスト、演歌歌手、レスラーに転身したことは夕刊紙などで報じられた通りだ。
昨年、名刺を整理していて、たまたま「渦中の人」と書かれた松野氏の名刺を目にし、あの強烈なキャラが脳裏に蘇ったものである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。