1990年8月のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国際連合が多国籍軍の派遣を決定。1991年1月17日にイラク空爆で火ぶたを切ったのが、湾岸戦争だった。
そんな最中、私は桃井かおりの父である、国際政治学者の桃井真氏に大変お世話になった。
というのも湾岸戦争勃発後、軍事評論家やアナリストは連日、各テレビ局に呼ばれ、それは大忙し。にもかかわらず、桃井氏はどんなに忙しくても「う~ん、少しだけなら」と、可能な限りインタビューに時間を割いてくれたのだ。
同氏は進駐米軍属として勤務したのち、防衛庁防衛研修所(のち、防衛研究所)に入所。国際関係論研究に従事し、研究部長などを歴任してきた軍事のスペシャリストである。
不勉強な私に「えっ、君はそんなことも知らないのか」と苦笑いしながら、湾岸戦争の行方について、丁寧に語ってくれた。
ただ当時、私はこの国際政治学者が「桃井かおりの父親」だということを知らなかった。したがって、某テレビ局のニュース番組に呼ばれた同氏が「桃井かおりさんのお父さんです」と紹介され、その場で帰ってしまったことや、映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」でマッパになった19歳の娘に「出ていけ!」と言い放ったこと、さらには美容院で娘のマッパ姿が掲載された雑誌を見た母親が救急車で運ばれた、という逸話もむろん、知らなかったわけである。
ただ、「翔んでる女」「自立する女」と呼ばれた彼女の原点には、父・真氏の存在が大きかったことは想像に難しくない。
一時、「生意気だ」として、マスコミから猛烈にバッシングを受けた。その際も、口では「まだ(女優を)辞められないのか」と言いつつ、八ヶ岳の別荘を提供してくれたのは父だったという。
私が真氏にお目にかかっていた頃も、親子は都内の二世帯住宅で暮らしていたのだが、2004年に真氏が亡くなったのを機会に、彼女はアメリカで1人暮らしを始める。そして15年、64歳の時に、アメリカで音楽関係の会社を経営する、同い年の日本人男性と電撃結婚し、世間をアッと言わせた。
2016年2月16日、そんな彼女がミューゼ川崎シンフォニーホールで行われた「第70回毎日映画コンクールの表彰式」で田中絹代賞を受賞した。マイクを向けられた彼女は、
「もうこれで、運は使い切ってしまうんだろうな(笑)。ま、明日、交通事故に遭っても大した未練はないので、ご心配なく。本当にありがとうございました」
と、満面の笑みを浮かべて語った。
現在は女優としてだけでなく監督や脚本も手掛け、アメリカでも活躍。そんな娘の姿に、真氏は向こうの世界から目を細めているに違いない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。