インスタグラムやTwitterといったSNSが、まだ姿も形もない昭和、平成の時代。芸能人の結婚や離婚は、その大半が記者会見により発表されるのが常だった。
そのため、頻繁に記者会見が開かれ、会見の最中には、現代ではおよそ考えられないような、ストレートな質問が乱れ飛んだものだ。
1984年5月28日に東京・丸の内にある東京會舘で開かれた、平幹二朗と佐久間良子の「離婚会見」も、その典型だった。
2人はテレビ、映画の共演を通し親しくなり、1970年に結婚。超多忙な大物スター同士の結婚とあって、当初からすれ違いが指摘され、結婚2~3年目には危機説が流れたことも。しかし、佐久間は35歳で二卵性双生児を出産、危機は乗り越えたかに見えた。
しかし、ほどなくして平が世田谷区内の自宅を出て、渋谷区内のマンションで一人暮らしを始めると、佐久間にもテレビプロデューサーとの恋の噂が流れていた。
会見に臨んだ平は、グレーのスーツに、黒地に水玉のネクタイ。一方、佐久間はブルーのワンピース姿で、首元からかけたパールのネックレスが目を引く。会見のテーブルに飾られた見事な花が、まるで婚約会見を思わせる場違いさを醸し出していた。
「お互いに仕事が大切で、2人の時間を作ることができなくなってしまった。最近は喧嘩もしなくなりまして…。もっと喧嘩すればよかったんでしょうが」(平)
「私が、母・女優・妻の3役を上手くまっとうすることができなかったということです。せめていい形で離婚して、子供に与える不幸を償っていきたい」(佐久間)
当初はそんな「優等生」的発言が続いていた2人だったが、会見場の空気を切り裂いたのは、ある記者が放ったひと言だった。
「平さんの『男性問題』が原因とも言われていますが、そのあたりはどうなんでしょう」
困惑し、顔を見合わせる2人。慌てた東宝関係者が「そんな質問はナンセンスでしょ!」と助け船を出すものの、時すでに遅し。
記者たちの勢いは止まらず、手を変え品を変え、その一点を突いていく。結果、答えざるをえなくなった平は、照れ笑いしながら「僕がお答えするより、彼女に…」と佐久間に助けを求めた。
彼女が「それはありません!」ときっぱり否定すると、会場にはピリピリムードが漂うことに。そんな中でも、
「僕は若い時からどうもそういう噂が多くて…。ま、スキャンダルは勲章のようなものだと思って、笑っておりました」
そう話す平に対し「今後の方がいい友達になれそうです」と笑顔を崩さなかった佐久間は、文字通り「女優」だった。
会見終了後、平が差し出した握手に気付かなかったのか、あるいは気付かないフリだったのか…それに応じず立ち去った佐久間の後ろ姿に、複雑な心の内を見たような気がした。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。