かつて「スキャンダルは芸能人の勲章だ!」と言った俳優がいた。まさにその言葉を地で行くかのように、常に芸能マスコミに話題を提供し続けてくれた女優が島田陽子だった。
島田は71年にドラマ「続・氷点」(テレビ朝日系)のヒロイン役で人気を博し、80年に出演した日米合作ドラマ「将軍 SHOGUN」でゴールデングローブ賞を受賞。一躍「国際派女優」として大きな評価を受けることになった。
しかし、私生活では88年、写真誌「FRIDAY」に、ハワイのコンドミニアムでの内田裕也との不貞密会をスッパ抜かれた。内田は島田と結婚するために、妻・樹木希林に黙って役所に離婚届を提出。だが、樹木が離婚無効の訴訟を起こして勝訴。結局、入籍できないまま、禁断の関係がしばらく続くことになる。
さらに92年、39歳でヘア解禁写真集を出版。11年には、57歳にしてなんと性ビデオデビューを果たし、往年のファンを驚愕させたものである。
そんな島田が伴侶として選んだのは、テレビドラマ「丘の上の向日葵」(TBS系)の撮影で出会った、3歳年下のテレビ制作会社スタッフA氏だった。
当時、A氏には結婚16年目になる妻と2人の子供がおり、いわば2人は「許されざる関係」。94年にA氏が離婚するのを待って、この年の4月22日、東京・丸の内で島田が結婚発表記者会見に臨んだのである。
紺色に花柄模様のルーピース姿で会見場に現れた島田は、A氏について、
「お付き合いするとかしないとかの前に、すごく素敵な人だなぁと。何も隠さずに話すことができて、ストレスが溜まっても(一緒にいると)悩みが吹っ切れるんです。そんなふうに心が開けたのは初めてでした」
「略奪愛」ではなく、島田がA氏の夫人と直接電話で話し合い、夫人側が納得する形で3月に協議離婚が成立したことも付け加えた。
とはいえ、当然のことながら、報道陣からは内田に関する質問が相次ぐ。すると、ノロケ気味だった島田の表情がキリッとなり、
「彼に出会う前のことですし、彼も私に会うまでは色々あったと思います。そういうことで、お互い立ち入りません」
とピシャリ。それでも、食い下がる記者たちに対しては、
「(内田のことを)引きずっているということはありません。自分が経験してきたことや失敗してきたことは自分の身になっているというか、学習したいと思います」
最後は余裕ある笑顔を見せ、会見は終了した。
だが、2人は19年7月、23年の結婚生活にピリオドを打ち、離婚。さてさて、彼女が結婚生活と離婚を通じて「経験」「学習」したものとは…。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。