この上半期、映画界で、ある作品が話題となった。芯からゾッとする作品だ。身の毛もよだつ。しかし、ホラー映画ではない。
タイトルは「PLAN 75」という。倍賞千恵子が主演した。7月21日時点で興収2億7000万円を記録し、限定的な公開作品、いわゆる単館系(拡大)興行の作品としては、異例のヒットになっている。
遠くない将来の話だ。〈プラン75〉という制度が、国内で施行された。75歳を超えたら、生死を選択できる。生死というより、後者の死を選択できる制度、と言ったほうがいい。
今も厳然とある高齢化社会が、背景にはある。制度は強制ではない。だが、制度の設定、選択の余地、自由そのものを、死への強制、誘いと受け止めかねない人も出てくる。
制度の狙いがそこにある。見えない強制力だ。〈プラン75〉という発想、着眼点が卓抜である。
ただ…と、ここで言っておきたい。このような設定自体が「ゾッとする」「身の毛もよだつ」といった感情を、筆者に引き起こしたのではない。
確かにおぞましい制度であるのは間違いないが、それを淡々と受け入れていくような人間描写に「ゾッとし」「身の毛がよだった」のである。
倍賞扮する78歳の女性は、親しい仲間と職を失い、途方にくれる。一人、死を前提にした制度への距離を徐々に縮めていくのだが、その近寄り方がとてもつらい。心が痛くなる。周囲に相談することなく、何か自己主張するでもなく、制度へ向かっていくのだ。
彼女自身の内部では大きく揺れ動いているに違いない心情、感情が、人との関わりの中では露わにならない。揺れ動きは、微妙な表情の変化(倍賞の演技が素晴らしい)に現れるが、内面や行動原理は、映画を見る側が想像するしかない。
ここで描かれるのは、事態を淡々と受け入れていく日本人の姿そのものではないか。そう見えて仕方なかった。これが「身の毛もよだつ」要因だ。そして、それが悲しい。
もちろん、日本人にはいろいろな人がいる。ただ、彼女が進む道は、自己責任を押しつけられ、頼る人もいない、これからますます増えるだろう高齢者の日本人の姿と、あまりに重なる部分が多いように見える。本作は、かなり冷徹な日本人論とも読める。
いったい、どうすればいいのか。映画は、その答えを明確にしているわけではない。
ここから、この国の痛ましさを感じるか。もどかしさを感じるか。突破の道をまさぐるか。
ヒットの理由は、海外の映画祭(カンヌ)での受賞という話題性などもあったとは思うが、やはり中身の今日性、身近な感覚が多くの人に響き、届いたことが大きいだろう。上半期の重要な作品の一本である。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2022年で31回目を迎えた。