自身が出演する作品の宣伝、あるいはゴシップ記事に対する反論等々、様々な用途で設定される記者会見だが、中には恋心を告白したり、逆に煮え切らない相手にプレッシャーを与える、といった目的で開かれることも少なくない。
後者のいい例が1997年5月12日、当時、横綱だった曙との交際が報じられたタレントの相原勇が、フジテレビ系ワイドショーで行った「単独会見」だったのではないだろうか。
2人はその4年前、ハワイ巡業の際に知り合い、意気投合。94年に曙が膝の手術で3場所連続休場した際には、相原が曙を必死に支えるなどして、交際を深めていったとされる。
だが、曙は勝負の世界で生きる身。勝てなければ恋愛など御法度、というのがこの世界の常だ。
そんなこともあり、師匠の東関親方(元関脇・高見山)は、3場所休場で引退のピンチがチラつく曙に対し、「交際を認めるためには、96年春場所での10勝がメド」との目標を設定した。
すると相原の「内助の功」もあったのか、曙は再起をかけた春場所で10勝5敗と、横綱としては大した成績ではないものの、どうにか目標をクリア。面目躍如となった。
そして5月26日、東関親方と並んで行われた記者会見では、苦虫を噛み潰したような親方の表情とは対照的に、
「(相原は)ものすごく大切な人。どんなところが好き? 全てです」
と、終始デレデレの曙。翌日には相原も囲み会見を行った。
「深夜12時過ぎに『全部言ったよ』と電話がありました。これで、ひとつハードルを越えることができたね、と。横綱の全部が好きですから、ただ頼るしかなかった」
そう語ると、辛い時期を思い出したのだろうか、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
しかしこの結婚話、後援会の反対もあり、なかなか前へは進まなかった。それどころか翌97年5月には、曙とOLとのキスショットが写真誌に掲載されたことで、すでに2人の関係は破局していて「曙が相原に手切れ金5000万円を手渡した」などと報じられたこともあった。
そうした状況下で行われたのが、冒頭の単独会見。大相撲夏場所が始まった直後のことだった。ここで相原は「私たちは終わっていない」と、破局説を打ち消したのである。
だが場所中に、横綱の新恋人が生放送でインタビューに答えるなど、前代未聞の騒動に発展。さっそく東関親方を直撃すると「何も話すことはない!」とピシャリ。そこで、後援会関係者から話を聞くことに。
「場所中はコメントを出さないという約束があったそうですが、彼女(相原)はそれを反故にしたわけですからね。親方が激怒するのも無理はない」
結局、直後に横綱と相原は破局。曙に必死のメッセージが届くことはなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。