昼の情報番組「バイキングMORE」(フジテレビ系)では、その歯に衣着せぬ物言いで、人気だった坂上忍。そんな坂上が、詰めかけた報道陣を前に、憔悴した表情でしどろもどろな会見を開いたことがあった。
95年1月13日、フッション・デザイナー山本寛斎氏の次女でタレントの山本未来と友人宅を訪ねて食事会を開き、翌日未明、酒を飲んでいない山本の運転で帰路についた。
ところが何を思ったか、途中から坂上が運転を交代。坂上はしっかり酒を飲んでいたため、かなり酔った状態だった。結果、午前1時35分過ぎ、世田谷区代沢付近を走行中に電柱に激し、愛車プレジデントが大破。そのまま現場から逃走したのである。
坂上は通報で駆け付けたパトカーに約20分間、追跡された後、飲酒運転で現行犯逮捕されたのである。
一報を受け、現場に直行。すると、車が追突したと思われる電柱は根元からポキッと折れ、宙ぶらりん状態に。もし通行人がいたら、大惨事になっていたことは間違いない。
「ものすごい音がして外に出ると、もう人だかりができていて、若い男女が『どうするのよ!』と言い争いをしていたかと思うと、突然、車を発進させたんです。車はシューシューと煙を上げながら走り去ったんだけど、その後をパトカーが追っかけていきましたよ」
近所の主婦は、そう証言した。
坂上が身柄を拘束された北沢警察署には、報道陣70人以上が詰めかける。午後9時過ぎに釈放された坂上は囲み取材に答え、心ここにあらずといった表情で、次のように語った。
「友人の家のパーティーで、升酒を4杯飲みました。自分で運転できると判断して…。(飲酒運転になることは)わかっていました。左側に車が駐車していたので避けたら、目の前に電柱が見えた。(逃げたのは)どうしてなのか、自分でもよくわからなくて…」
一方、同乗していた山本も会見を開き、
「動揺していたので、坂上さんに『車に乗って』と言われて…。(逃げている間は)なんで今、動いているんだろう、って。パトカーに止まるよう合図されたので、すぐに停止したと思います」
逃げたのではなく、パニックになったための行動だったと強調したのだった。2人は2年前の舞台共演で知り合い、交際していたようだが、山本によれば「恋人というより、ボーイフレンドの一人」だったという。
そこで、坂上の母親で所属事務所「JK企画」社長の淳子氏を直撃すると、こちらも憔悴した表情でひと言。
「忍には『他人に迷惑をかけるな』と口癖のように教えていたんですが…。彼は『おふくろ、ごめん。悪いことをしてしまった。これで僕の役者生命が断たれてもしょうがない』と。『きちんと責任を取りなさい』と言いました」
それから27年。いまだに現場にさしかかるたび、当時の状況が鮮明に浮かび上がる。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。