今や大相撲だけでなく、安定した解説で、すっかりスポーツキャスターとしての地位を築いた、舞の海秀平。現役時代には、土俵で繰り出す「猫だまし」や「八艘飛び」など、多彩な動きから「技のデパート」と異名をとった。
そんな舞の海が突然、深夜に記者会見を開き、結婚を発表したのが、97年の5月場所も大詰めを迎えた23日のことだった。
とはいえ、場所中の、しかも勝ち越しさえ決まっていない時点での結婚発表は、角界でも前代未聞。しかも通信社から第一報が流れたのが、午後9時過ぎだったこともあり、当日は、酒場から慌てて出羽海部屋へ駆けつけた記者も少なくなかった。
会見で舞の海が「一部のマスコミに知られてしまったので、公平にと思って発表しました」と、記者たちの前で紹介したのが、6歳年上で離婚歴があり、8歳の女の子と5歳の男の子の母親である、真美夫人だった。
3年前の九州場所の際、舞の海がたまたま彼女の母親が経営する小料理屋を訪ね、そこで働く彼女にひと目惚れ。交際が始まったという。
ただ、バツイチの真美さんは当初、「再婚になるし、とても結婚なんてできません」と二の足を踏んでいたが、舞の海はそれこそ、押しの一手で説得。
「(プロポーズの言葉は)何も心配することはないから、安心してついてこい、と」
子供たちが舞の海になついたこともあり、真美さんは「子供を愛してくれているので、幸せにしてくれると思い」結婚を決意。この時すでに、一家は東京で暮し始めていたという。
だが、スポーツ紙の相撲担当記者によれば、当時の出羽海部屋では、師匠の境川理事長(元横綱・佐田の山)の次女と舞の海を結婚させ、部屋を継がせるとする話が具体的に進んでいたそうで、
「そうなれば、理事長夫人が経営する相撲茶屋『四ツ万』を継承することになり、文字通り逆タマになりますからね。ところが、真美さんにベタ惚れだった舞の海は『自分には分不相応』として、申し出を断ったというんです。ただ、理事長の娘さんとの縁談を断ったとなれば、角界に残るのが難しいことは、舞の海もわかっている。そこで早い段階からテレビ関係者に相談し、引退後の青写真を描いていた」
舞の海は結婚から2年後、99年11月場所を最後に、各界を引退。現在はスポーツキャスターのほか、マルチタレントしても活躍しているが、04年にはベストファーザーに贈られるイエローリボン賞を受賞した。
「息子の運動会より授賞式を優先してしまったから、ベストファーザーとは言いがたい」
と受賞会見で照れる彼は現在も、子供たちと正面からがっぷり四つで向き合っているそうだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。