鎌倉時代に、邪教と呼ばれた「真言立川流」の創始者となった、仁寛という僧侶がいたのをご存じだろうか。
「真言立川流」は髑髏(どくろ)を本尊とする宗教だといわれている。詳しい資料は残っていないが、後醍醐天皇が興味を持っていたという説も根強い。
仁寛は左大臣の源俊房として生まれた。村上源氏の嫡流だ。真言宗系修験道の醍醐三宝院流の開祖で、兄の勝覚に弟子入り。その後、真言宗の僧の最高位である阿闍梨にまで上り詰め、後三条天皇の第3皇子・輔仁親王の護持僧となった。
順風満帆だった人生が一変し、邪教の創始者となったことには、ある暗殺未遂事件が関係している。皇位継承を巡るゴタゴタに巻き込まれたからだ。
仁寛は輔仁親王を皇位に就かせるため、鳥羽天皇の暗殺を計画。だが、この陰謀は事前に発覚し、尋問の末に犯行を自白したことで、伊豆の大仁に流されることになった。
伊豆へ放逐された後、名を蓮念と改めた仁寛はその頃、武蔵国立川(現在の東京都立川市)出身の陰陽師・見蓮と出会い、見蓮やその弟子の観蓮、寂乗、観照らに真言密教・醍醐三宝院流の奥義を伝授し始めたという。
永久2年(1114年)、仁寛は伊豆葛城山で投身自殺したが、見蓮らが真言密教と陰陽道を混合させて真言立川流を作り上げ、南北朝時代に文観が完成させたとされている。
通常の仏教ではタブーとされる性行為を通じて即身成仏に至ろうとする教義が最大の特徴で、もっぱらダキニ天を崇拝しているという。
ダキニ天は夜叉の一種で、人が死ぬ6カ月前に察知し、その心臓を食うという女性の悪魔だ。そして性交の和合水を繰り返し塗り込め、金箔や銀箔で鼻や目を肉付けした「本尊」としている。
江戸時代中期には完全に消滅したが、性的儀式を信奉する名称不明の密教集団と混同されるようになり、風評被害を受けたとの説もある。
だが現在、世間を騒がせている旧統一教会をはじめ、世界には様々な宗教がある。性交を奨励する宗教があっても不思議ではないのだ。
(道嶋慶)