「ノムさんは基本的に、こんなこと言っちゃいけないですけど、大学卒がみんな嫌いなんですよ。当時、主力で大学出は広澤さんくらい。ただ、広澤さんはメインだったんで…。大学出は結構外されたんですよ、ボクとか、笘篠とか、栗山さんもそう。クリさんもノムさんになって、すぐ辞めましたからね」
ヤクルトを3度の日本一に導いた名将・野村克也をこう振り返ったのは、12月22日に槙原寛己氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉に出演した長嶋一茂である。
立教大卒の一茂は、88年からヤクルトでプレー。1年目で88試合、2年目に69試合に起用されたが、野村監督が就任した3年目の90年は、35試合の出場にとどまった。
中央大卒の笘篠賢治は1年目の89年に120試合に出場するも、90年は71試合に減少。代わって出場機会が増えたのは、飯田哲也(拓大紅陵高卒)だった。
現在、侍ジャパンを率いる栗山英樹監督は、東京学芸大卒だ。85年から平衡感覚を失う三半規管の難病であるメニエール病を患いつつプレーするも、90年に当時無名選手だった栁田浩一(鳴門商卒)にレギュラーの座を奪われて、引退。
「メニエール病になっちゃったっていうのもあるんだろうけど」
とフォローする槙原氏は、立命館大卒の古田敦也については「すごいキャッチャーで別格」だと…。
栗山氏が監督として日本ハムを10年ぶり3度目の日本一に導いた、16年の日本シリーズ。写真誌「FLASH」(11月8日発売号)で「最低の日本シリーズ」と酷評した野村監督は、お立ち台で涙する栗山監督に「あの涙は何なんだ」とも。
「高学歴嫌い」がいよいよ信憑性を増すエピソードだったのである。
(所ひで/ユーチューブライター)