知的な女優としてクイズ番組などで頻繁に見かけるのが、宮崎美子だ。熊本大学法学部卒の経歴に加え、癒やし系の笑顔で親しまれる。20年10月には芸能生活40周年を記念し、還暦水着ショットが掲載されたカレンダー&フォトブックを発売。すると、なんと「鬼滅の刃」公式カレンダーを抑え、見事1位を獲得したのである。
実は彼女には、わずか1年4カ月足らずではあるが、結婚していた期間がある。相手は同い年のテレビディレクターK氏。2人はTBSドラマ「2年B組仙八先生」で知り合い、4年後の85年10月、阪神タイガースが優勝を決めた試合会場で劇的に再会。それから4年の歳月を経て、89年9月に電撃入籍した。
その記者会見では、トルコ石を「婚約宝石」としプレゼントされたと告白。
「次にタイガースが優勝したら挙式しようね、と2人で話しているんですよ」
と、はにかんでいた。
しかしそんな甘い生活も、長くは続かなかった。91年1月14日、東京・練馬区の東映大泉撮影所で離婚会見に臨んだ宮崎は冒頭、
「早かったですよね。でも、その前の8年間(交際期間)が長すぎたのかもしれません。逆にいえば、結婚するのが遅すぎたのかもしれません」
スピード離婚の理由については、
「あえて言えば、入籍したことが離婚の原因でしょうか。私にとって入籍は、単なる形式以外の何物でもなかった。入籍していることが息苦しくなっちゃったんです」
なんとも哲学的な匂いのする弁が飛び出したのだった。
確かに結婚会見では「彼は明るくて飾らなくて、何をやっても食べていけそうな感じ」と語り、夫婦というより「同志」に近い存在、との印象を受けた。だが、彼女が言うには、婚姻届に自分の名前を書き入れた瞬間、
「すごく違和感を感じて、この届がどんな意味を持つのかなって。その違和感は最後まで抜けなかった」
というから、よほど心に引っかかるものがあったのか…。
結婚も離婚も、最初に言い出したのは彼女からだったそうだが、離婚届に判を押した瞬間も、
「まるで他人事のようで、ドラマの一場面みたいに思った」
淡々と語る宮崎は会見の最後、元夫に対し、思いっきり明るく、こんな言葉を贈った。
「お元気でね!」
大の阪神ファンを自認する2人だが、前シーズンのタイガースの成績は最下位。優勝して「挙式する」前に、離婚が先になってしまうとは…。以降31年、彼女は独身を貫いている。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。