やはり森保一監督の「交代論」は根強かった──。
日本サッカー協会が昨年12月28日、森保監督の続投会見を「突然」にして行った。例年であれば27日が仕事納めにもかかわらず、この日の午前に臨時理事会を開き、すぐさま報道陣に会見を開くことをアナウンス。席上、田嶋幸三会長は森保監督の契約期間を「次のW杯までの4年間」と明言し、年俸は「世界的に見ても恥ずかしくない金額」として、2億円を超えるものになった。
ところが会見に同席した反町康治技術委員長は、森保監督と2時間ほど話をしたと語った上で、続投会見にもかかわらず「まだまだ足りない点はあると、話をさせていただいた」と、異例のダメ出しをしたと明かしたのだ。
反町委員長は20年3月に就任。その時はすでに森保体制が発足していた。もともと「森保は俺が選んだ監督ではない」という考えで、技術委員会では「森保ではなく外国人監督推し」になっていた。次期監督については9月からリストアップを開始。そこで接触を図り、候補に挙げていたのが、14年W杯ブラジル大会で優勝したレーヴ氏を筆頭とした「ドイツ人監督」だった。
しかし森保ジャパンは、W杯カタール大会の初戦でドイツ代表に鮮やかな逆転勝ちを収めた。技術委員会関係者によれば、
「ドイツ代表には勝てないと思っていたからこその人選だったが、あれでドイツ人監督を選ぶわけにはいかなくなった」
最終的には、田嶋会長がメンバー1人を指名する権利を持つ「代表監督選定委員会」(昨年12月21日開催)に、森保監督が「師」と慕う岡田武史副会長を選び、反町委員長を含む3人で「森保続投」が固まったわけである。
そんな「いつでも解任」が燻る体制で、森保ジャパンは3月に再スタートを切る。
(小田龍司)