キザな風貌に「ホラ話芸」。そしてお得意の「指パッチン」で70年代のお茶の間を大いに沸かせたポール牧は、ビートたけしに「ポール師匠はとにかく、やることなすこと全てハチャメチャ」とイジられたことで、90年に入って再ブレイクした。筆者も「ポール牧ブーム」の取材のため、本人にインタビュー。その後もたびたび、新宿区内の自宅マンションを訪ね、酒を酌み交わしながら数々の伝説を堪能させてもらった。
そんなポールが突然、出家すると宣言し、世間を騒がせたのが96年だった。彼はもともと北海道の禅寺の息子で、10歳で出家したが、僧侶の道を諦めて上京。その後、関武志と「ラッキー7」を結成し、テレビや舞台で活躍していた。
だがこの年、兄が死去。それをきっかけに静岡県袋井市の「可睡斎」で修業に入る。「熈林一道」の僧名をもらい、曹洞宗の僧侶となったのだった。
そんなポールに降って沸いたのが、00年11月の写真誌によるセクシャルハラスメント報道だった。それによれば、ポールは同年8月、銀座のクラブホステスを新宿のホテルの部屋に呼び、「僕にはパワーヒーリングという能力があって、手をかざすだけで人の病気が治る」として女性の服を脱がせ、いかがわしい行為に及んだというのである。
11月30日、反論記者会見を開いたポールは、
「私のコカン、いやコケンにかかわることですから」
として、
「僕のハンドパワーは直接、肌に手を当てた方が効果的です。毎回、直接触っています」
あくまでも治療だったと主張した。
「話は捏造の積み重ね。僕の善意をなぜ悪意で返すのか!」
と声を荒らげたのだが、正直、筆者自身も彼がそんな才能を持っていることを、その時まで知らなかった。それだけに、ひいき目に見ても、今ひとつ説得力にかける印象は拭えなかったのだ。
だが、このスキャンダル報道以来、講演の仕事は激減。その頃からうつ病に苦しみ出したと伝えられた。02年には東京を離れ、茨城県鹿嶋市で自身の寺「一道寺」の住職となったこともあり、筆者から連絡することもなくなってしまった。
それから3年が経過した05年4月22日、テレビニュースで「ポール牧、自死」を知ることになる。前夜9時過ぎにマネージャーと新宿の自宅マンション前で別れ、未明にマンション9階の部屋から飛び降りたのだという。
茨城県の「一道寺」を訪ねると、境内には首ひもを解かれた黒い犬が1匹。近所の住人によれば、
「年明けにはポールさんもいなくなり、寺はもぬけの殻だった」
生前「自死する人は地獄に落ちますよ」と語っていたポール。命を断った原因は謎のままだが、筆者の自宅クローゼットには、彼からもらったド派手なネクタイが今も残されている。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。