2月24日、元毎日新聞記者だった西山太吉氏が91歳で死去した。12年にTBSテレビで放送した山崎豊子原作の「運命の人」の主人公のモデルとされる。
72年の衆院予算委員会で、沖縄返還秘密協定について横路孝弘衆院議員が質問したことを発端に、その資料がどこから漏れたのかを東京地検特捜部が捜査し、毎日新聞の政治部記者だった西山氏が逮捕された。いわゆる「西山事件」と呼ばれ、大騒動となった。
西山氏は71年に外務省の女性事務官だった既婚女性Hさんに近づき、泥酔させて、いわば強引に肉体関係を結び、外交資料を流すようにそそのかした。それが日米が交渉していた沖縄返還秘密協定で、日本が秘密裡にアメリカの復元補償費を肩代わりする、という密約である。
西山氏は毎日新聞にそれを掲載することなく社会党の議員に流し、国会で質問された。入手した極秘電報のコピーにはハンコが押された決済欄もあり、どの部署で抜かれたものなのかを調べれば安易に分かる、稚拙なものだった。この欄を黒塗りするなどの細工はされていなかった。
当然のことながら、ニュースソースであるHさんのことはすぐにバレてしまい、Hさんも逮捕されてしまった。記者にとってニュースソースを秘匿するのは当然のことであり、最も守らなければならない鉄則である。それを守れず、しかもHさんと強引に肉体関係を結んだことによる取材方法への世間の批判は強く、毎日新聞の不買運動も起きた。
13年11月、特定秘密保護法案の審議では、西山氏が国会に呼ばれて反対意見を述べたが、ニュースソースを守れない者が言う資格はない、との批判もあった。
逮捕されたHさんはその後、支援者だった弁護士事務所で働いていたが、そこで出会った6歳年下の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。13年当時、Hさん夫婦が暮らす埼玉県内の自宅に数回行き、ご主人から話を聞くことができた。
逮捕時の面影がないほど太ったHさんは10年に脳梗塞を患い、ベッドに横たわっている。時々「う~ん、う~ん」と奇声をあげるだけだった。夫が言う。
「彼女の運命をもてあそんだのは西山です。ニュースソースを守れなかったのですから、罪は大きいと思っています。Hはあの事件で逮捕され、家族や親族、そして友人たちから絶交されて孤立無援になりました。それがどれだけ辛かったか…。テレビで山崎豊子の『運命の人』をやっていましたが、山崎がウチに取材に来たこともないし、連絡すらありません。西山がモデルになった者がヒーローになっている小説ですし、山崎が毎日新聞の出身だからあんな小説を作ったのだと思っていますが、私は怒っています」
10軒ほどの一戸建てが並ぶ路地の奥にあるHさん宅。世間を騒がせたHさんがそこに暮らしていることを、近所の人たちは誰も知らなかった。何度も引っ越しを繰り返し、ここに辿り着いた。夫は自らガンを患い、体調が悪いと言いながらも、近所のスーパーで食材を買いに行っていた。
後日、北九州で暮らしている西山氏に、特定秘密法案について電話取材をした。反対の理由を能弁に語っていた西山氏に、
「Hさんに対してどう思っていますか」
と聞くと、
「いいよ」
そう言って電話は切られた。あの「いいよ」とはどんな意味なのか。Hさんへの贖罪の気持ちはなさそうな雰囲気だった。
ちなみに事件後、Hさんは西山氏とは一度も会っておらず、西山氏からの連絡もなかったという。