昨今ではすっかりお馴染みになった、年末の「駆け込み婚」だが、まだ珍しかった2000年代前半、しかも当日午後2時にマスコミ各社へファックスで結婚を報告。午後7時から都内のホテルで入籍発表する、という慌ただしいスケジュールで行われたのが、07年12月27日のオダギリジョーと香椎由宇の会見だった。
会見場となったウェスティンホテル「STAR ROOM」には早くから報道陣が詰めかけ、その数ざっと150人。登場したオダギリは役作りなのか、伸ばし放題の髪に、髭もボーボー。香椎はシックなシルバーのブラウス姿で、まさに美女と野獣である。
2人の出会いは05年の映画「パビリオン山椒魚」(冨永昌敬監督)。オダギリいわく、香椎が自分と同じ誕生日(2月16日)だったことで運命的な出会いを感じたという。
「これまで金正日(当時の北朝鮮総書記)しか知らなかったので、びっくりして。付き合った時から結婚を意識していた」
2人の交際は一部女性誌に報じられたものの、その後は特に進展もなかったことから、芸能マスコミはどこもノーマークだった。
決婚を決断した理由について、オダギリは、
「来年から海外での仕事が多くなり、日本にいることが少なくなるので、彼女も心配だろうし、安心させたかった。会見をするには今日か明日しかなく、急な会見になりました」
すでに香椎の両親には挨拶を済ませており、
「海外に行く前に、ご両親に自己紹介を済ませておきたいと思い、彼女にそう伝えました。それが僕としてのプロポーズでした」
とはいえ、前年11月には「FRIDAY」に香椎と小栗旬とのデートが報じられたばかり。これに対し香椎は、
「(小栗とは)すごく仲が良く、会う時はオダギリさんにも伝えておりました」
一方のオダギリも、
「みんな友人? そういうことじゃないですかね」
笑顔でかわしたものの、瞳の奥が笑っていないことは、誰の目にも明らかだった。
会見は香椎が所属するホリプロの仕切りだったが、スポーツ紙芸能デスクによれば、この日はホリプロの大御所・和田アキ子の競艇イメージキャラクターの会見があり、
「ニュースがなければそちらを大きく扱う予定だったけど、このニュースで和田の方は囲みかな。でもこのバッティング、社内的に大丈夫なのかなぁ」
偶然にせよ、同じ日に会見を開いた後輩の身を案じるその言葉に、筆者も大笑いだった。
ちなみに香椎の両親は躾に大変厳しく、交際していた2年間は「夜10時の門限を守ってくれた」ことも、結婚快諾の大きな要因になったようだ。
エッジの利いたクールなイメージとは異なり、11歳年下の香椎を射止めるために、おそらくはどんな努力をいとわなかったであろうオダギリの生真面目な素顔が、ふと垣間見える記者会見となったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。