全国統一を夢見、疾風怒濤、戦国時代を駆け抜けた織田信長は絶倫だった。その源は彼の意外な“食”にもあった。
天正10年(1582年)家臣・明智光秀の謀反にあい、京都本能寺で自害(享年49)したとされる戦国武将・織田信長の“人生50年”は絶倫生涯でもあった。
濃姫をはじめとする10指に余る妻・側室を持ち、22人の子供をもうけたうえ、森蘭丸に代表されるように小姓との男色も好んだとも言われているがそうした力を支えていたのが、彼の食事だったというのだ。“三河の田舎者”と自ら語っていた彼の食事は塩分の多い“粗食”だったと伝わっているが、好奇心が強く新しいものを好んだようだ。そのひとつが玉ねぎ。
内科医で医食研究科でもある重松彰氏が言う。
「玉ねぎが我が国に入ってきたのは1770年に南蛮船が長崎にやってきた時のことと言われていますが、実はイエズス会の宣教師のポルトガル人ルイス・フロイスが完成間もない安土城で信長と対面した時に金平糖などと共に献上されたとも言われています」
信長はさっそくみじんに切った玉ねぎをご飯にかけ湯づけでかっこんだと言われている。
栄養学に詳しい理学博士の秋好憲一氏が言う。
「玉ねぎのスタミナ食としての歴史は古く、ピラミッド建設をする労働者達が玉ねぎを食べていたというエピソードもあるくらいです。玉ねぎ、特に外皮には、ポリフェノールの一種のケルセチンをはじめとする多くのミネラルが含まれており疲労回復、精力増強には最適です」
朝食にご飯の上にみじんに切った玉ねぎ4分の1を乗せ卵黄を落とし醤油をかけてかき混ぜて食べると効果絶大だとも言う。食欲のない時に最適なうえ、コレステロール値を下げ血栓の予防にもなる優れものでもあるというから、信長の快進撃を下支えする「陰の推進力」となったと言えるのである──。