FAXが一般的に普及した90年代、当時は編集部に置かれた1台のFAXには、それこそ芸能プロや映画制作会社、テレビ局からひっきりなしに制作発表等の「お知らせ」が入ったのものだが、中には芸能人の突然の結婚や離婚報告が紛れ込んでいた。
そんな中の一組が、99年3月23日に入籍し、3日後の26日にマスコミ各社に連名でFAXを送付して電撃結婚を報告した大沢たかおと、2歳年上のシンガー・広瀬香美だった。
ただ、悲しいかな、筆者が所属する編集部をはじめ、芸能マスコミは、この2人が交際していたことさえ知らず、全くのノーマーク。しかも、SNSに名前を入れればパッとデータが出てくる時代ではない。まずは、モデル出身の人気俳優・大沢と、93年の「ロマンスの神様」の大ヒットで知られる「真冬のポップ・クイーン」広瀬という意外なカップルの、接点探しから取材がスタートした。
すると、大沢が主演する95年公開の映画「ゲレンデがとけるほど恋したい」の主題歌を広瀬が担当していたことが判明。それをきっかけに交際が始まったことがわかり、映画関係者を片っ端から取材することになった。
ところが、2人とも仕事仲間には一切打ち明けていなかったのか、取材した映画関係者は、
「いや~驚きました。全然知らかった。ただ、大沢さん、ロケ先にいつもアコギ持参で、ブルースなんかを歌っていたからね。もしかしたら、彼女の影響があったのかも。ただ、彼、極度の照れ屋だからね、言い出しにくかったのかなぁ」
2人は米ロサンゼルスで、親族と身内だけで挙式。FAX送付から4日後の3月30日、単独会見に臨んだ大沢は、
「ファンから『うそつき』というメッセージがたくさん入りました。(発表の)順番が違うと言われて。こういう会見は初めてなんで、緊張して声が上ずってます。とにかく、とっても幸せなんですよ」
と、照れることしきり。
「僕は基本的に暗い人間。彼女は皆さんご存じのように、明るくて正反対のタイプ。そういうところに惹かれた」
前年秋には結婚を意識したそうだが、
「プロポーズは、ドラマのようにはいかないんですねぇ。ダイヤの指輪を贈ったのは、僕の車の中。指輪は僕が選びました。彼女は『ありがとうございました』と言ってくれました」
さらにそう話すと、汗をぬぐったのである。
しかし、そんな歓びの会見から6年半後の06年11月28日、2人は結婚時と同様、FAXで離婚を報告。その文面には「私たち夫婦は、別々の道を歩むことになりました」という事務的な文言が記されていた。
そういえば、会見で大沢は「お互い責任ある仕事をしているので、休めてリラックスできる家庭にしたいと思います。子供は成り行きに任せます」と語っていた。もしかすると、帰る場所に居心地の良さを感じられなくなったのか…。
とはいえ、むろん1枚のFAXの文面から、それを読みとることは叶わなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。