ACLチャンピオンズリーグで優勝し、アジアを代表するビッグクラブになった浦和レッズ。Jリーグ1の集客力を誇り、埼玉スタジアムの雰囲気は欧州のようだと評されることもある。
そんなレッズも、Jリーグ創成期は「Jリーグのお荷物」と呼ばれる弱小チーム。サポーターが目を覆いたくなるような赤っ恥もののエピソードも少なくない。
93年9月のヴェルディ川崎(当時)戦で武田修宏が決めたゴールは、浦和にとって「恥ずかしい記憶」として残っている。中盤でボールを受けたラモス瑠偉とビスマルクは、浦和の選手をあざ笑うかのように浮き球のパスを繰り返すと、ピッチにボールを落とすことなくゴール前へ。それを受けた武田がゴール。まるで大人と子供がサッカーをしているかのような内容だった。
これはJリーグを代表する名ゴールシーンとして、今も映像が流されることがあり、そのたびに浦和のサポーターは嫌な思いをするという。
99年、J2降格が決まった試合でも、黒歴史が生まれた。
「J1最終節で浦和とアビスパ福岡、そしてジェフ市原(当時)の3チームが残留を巡って争いました。浦和は広島との試合を90分で勝てば残留できたのですが、ゴールを決められず、0-0のまま延長戦へ。この時点で浦和の降格が決まりました。延長後半1分、福田正博がVゴールを決めると、J1残留と勘違いしたディフェンダーの池田学が笑顔で福田に抱きつきました。あの時、スタジアムにいた全員が『ロボ(池田の愛称)は何やってるんだ。バカなのか』と思ったはず。ただでさえJ2降格で落ち込んでいたところに、池田の振る舞いは傷に塩を塗り込んだも同然でした」(サッカー誌記者)
「山田暢久が受けた屈辱のスローイン講座」という事件もあった。スタジアムで見ていたスポーツライターが、その場面を振り返る。
「山田はサイドの選手なのでスローインをすることが多かったのですが、どうにも下手で、何度もファウルスローを繰り返した。すると呆れた審判がその場で、スローインのやり方を指導したんです。プロのサッカー選手が試合中に大観衆の前で、スローインのやり方を教えてもらう様は、なんとも情けないものがありましたね」
一番の赤っ恥事件とされるのは、93年6月の鹿島アントラーズとの試合だろう。鹿島のホームで行われたこの一戦、浦和は開始わずか2分後に福田正博のゴールで先制する。待望の勝利に向けていいスタートを切ったはずだったが、
「鹿島からゴールを奪ってよほど嬉しかったのか、チーム全員で大喜び。祝福は通常より長く続きました。すると鹿島が素早くキックオフし、浦和のスキをついて黒崎比差支が同点弾を叩き込みました。結局、浦和は1-3で敗れていますが、負けたことよりゴールを決めて喜びすぎたことの方が痛かった。このゴールもJリーグの名場面として振り返られることが多く、浦和サポータにしてみれば、そっとしておいてほしいという思いでいっぱいです」(前出・サッカー誌記者)
こんな黒歴史を乗り越えて、3度のACL優勝を果たした浦和。赤面ものの失態も、ムダではなかったということか。