市川猿之助の自死未遂、その父・段四郎さんと母・延子さんの死を巡り、連日さまざまな報道が繰り広げられる中、今から遡ること20年前に起こった、ある自死事件を思い出した。それが2003年3月、自宅の寝室で命を絶った実力派俳優、古尾谷雅人のそれである。
所轄署への取材メモによれば〈第一発見者は元女優の鹿沼絵里夫人。午後に帰宅。夕方になっても起きてこない夫を不審に思い自室を見ると、天井のパイプに空手の黒帯を通し、それに首にかけた状態で亡くなっている古尾谷を発見した〉とある。
自死の原因をめぐって「多額の借金を苦に」等々、様々な憶測が流れるも、夫人は沈黙。本人が亡くなっている以上、真相は藪の中に消えてしまうのでは、と思われた。
ところが、古尾谷の死去から1周忌を迎えた04年3月25日。夫人が本名の古尾谷登志江名義で夫婦生活を綴った手記「最期のキス」を出版。一周忌法要と納骨を済ませた後、その足で都内のホテルで出版記者会見を開くことになった。
手記には、夫・古尾谷の「子煩悩で優しいパパ」ぶりが綴られる一方、役にこだわるあまり仕事の選り好みが激しく、次第に仕事が減少したことも。結果、生活が苦しくなり、最終的には住民税を滞納するほどの借金地獄に追い込まれてしまったという。さらに、酒を飲むと人格が豹変し、家族にも暴力を振るうようになったことなどが、赤裸々に明かされた。
そんな古尾谷の人格を形成した最大の要因が、古尾谷が父や継母から受けてきた虐待だった可能性があると、著書には繰り返し書かれていたのである。夫人は言った。
「なぜ自死したのか。遺書はあるのかと言われ続けてきましたが、私自身、何を語っていいのかわからず、1年間、沈黙してきました。ただ、以前から『もし自分に万が一のことがあったら、僕のことを全部書いていいんだよ』と…。それがこの本を書いたきっかけです」
手記で描かれる継母は「子供の服は年に1着しか買わず、食事を作らず、風呂にも入れない」という、およそ母親とは呼べない女性であり、〈彼は母親に二度捨てられたのだ。少なくとも彼はそう思い込んでいた〉といった衝撃的な記述もあった。夫人いわく、
「誤解されると困りますが、これは彼から聞いた子供時代の話を、彼の弟にひとつひとつ確認して『うん、そうだよ』と言われたものだけを書いています」
その虐待経験が「消えることのない心の傷」となり、彼を追い詰め続けていたというのである。
継母はマスコミの取材に対し「一切お断りしています」と固く口を閉ざした。本人が亡くなっているため真実はわからないが、この手記発売により、夫人と継母との確執が決定的になったことだけは、間違いない事実だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。