市川猿之助による前代未聞の「心中事件」発生から3週間近くが経過し、警視庁による聴取が続く中、徐々に供述の全容と捜査現状が明らかになってきた。「週刊新潮」によれば、猿之助は性加害疑惑を掲載した「女性セブン」発売前日に〈こんなことを書かれたら、もう生きていても意味がない。家族みんなで死のう〉と決意。ただし〈私たち親子は仏教の天台宗の敬虔な信徒で、死に対する恐怖はありません。自死が悪いことだとは考えていません。私たちは輪廻転生を信じています。生まれ変わりはある、と本気で考えています〉との死を恐れぬ死生観から、心中を選んだのではないか、と報じている。
確かに世界各地には古くから「輪廻転生」という考え方があり、日本でも江戸時代には、落語や講談、錦絵などでも「輪廻転生」を扱ったものが数多く登場。大半は創作の怪談ものだったが、中には実話と噂された作品もある。それが、女性の恨みと怨霊が時代を経てもなお祟り続ける、という有名な怪談話「累ヶ淵(かさねがふち)」だった。
時は寛文年間(1661~1673年)。下総の村で暮らす百姓、与右衛門が後妻に迎えた杉には、助という醜い娘がいた。与右衛門は何かにつけて助を疎んじ、夫に嫌われたくない杉は、あろうことか、助を淵へ沈めて殺害。ところが翌年、2人に授かったのが、助に生き写しの累だった。そして累も夫により殺害され、杉が助を埋めた川の淵へ突き落とされてしまう。するとまさに「輪廻転生」のごとく、次々と祟りが起こり始める、という物語だ。
この物語では、たまたま飯沼の弘経寺に祐天上人という法主が止宿しており、同法主が「輪廻転生」した累の怨霊を払ったとされることから、現在も茨城県の法蔵寺には、祐天上人が死霊解脱供養に用いたという、数珠と累の墓が残されている。心霊研究家が解説する。
「つまり、ひと口に『輪廻転生』と言っても、亡くなり方によっては、あの世に行けずに現世をさ迷ってしまったり、あるいは死霊となって、生きている人間の体に乗り移る場合もあるということです。その代表的な物語が、江戸時代に流布した『死霊解脱物語聞書』に記される、この『累ヶ淵』というわけですね」
むろん、猿之助親子が何をもって「私たちは輪廻転生を信じています」としていたかはわからない。一日も早い事件の全容解明を望むばかりなのである。
(ジョン・ドゥ)