6月23日からの横浜DeNA3連戦で3連敗を喫し、セ・リーグ首位から陥落した阪神。時を同じくして聞こえてきたのは、岡田彰布監督(65)の大暴走、そして周囲との不協和音だった。
「何回ゆうてんの!」
もはや「鬼門」と化した敵地・横浜スタジアムでの足掛け2年の13連敗後のことだった。三塁側ベンチ裏にある関係者用の出口に横付けされたワンボックスタイプのハイヤーに乗り込む岡田監督は、群がった報道陣を前に声を荒らげた。
不穏な空気は、負け越したセ・パ交流戦を終えて横浜に移動する22日から漂っていた。
「阪神と同じくDeNAもホームゲームに強いことを聞かれた時のこと。岡田監督は4月のビジター横浜戦を振り返り『横浜はイベントの時間が長いよな。アレ待ってる時間長いやんか。何か野球に関係ないイベントばっかりしてるやろ。ちょっと拍子抜けすると思ったわ。ゆうとけよ、横浜に!』と公の場で言い放つや、翌日、在阪スポーツ各紙はこぞって、言われたとおりにDeNAへの“苦情”を紙上やネットニュースで発信。父親が岡田監督の後援会メンバーだったために幼少期から交流がある、DeNA三浦大輔監督は『それは球団がでしょ』と、あくまでグラウンド外の話として大人の対応でしたが、DeNAの球団関係者は『俺たちの努力を踏みにじる発言。絶対に許さない』と怒りを露わにしていました」(在阪テレビ局関係者)
口は禍の元とはこのことか。初戦、今永昇太に完封されると「球審が悪い!」とボロカス。2戦目後には「イベントの記事からおかしくなった」と、イライラを隠さず露骨に八つ当たりするのだった。
「バウアーにしてやられた3戦目後には、岡田監督が球団スタッフを通して『記事を掲載した社から経緯説明と謝罪がない限り取材拒否する』と一方的に通達してきました」(前出・在阪テレビ局関係者)
メディアが困っているところにスーツ姿の岡田監督が出てきたため、報道陣は一斉に声をかけた。だが言下に、冒頭の発言を浴びせられたという。
思えば、04年から08年までの阪神監督時代、10年から12年までのオリックス監督時代は就任当初から“王様”気分だった。
「気に食わない記事を書いた記者を呼びだして『なあお前、そんなん書いて野球わかってんの? おーん』と詰めたり、段取りが悪い球団スタッフを『何べん同じことゆうてんのよ。はっきりゆうて!』とブチ切れ。特に戦績が悪くなると大したことではなくても怒りの感情があふれたあげく、球団に『スタッフ代えろゆうてるやん!』。シーズン中に監督付の広報が交代したこともありました。関わったスタッフが『2度と岡田はんとは仕事したくない』と拒絶反応を起こすほど。昨オフの阪神監督復帰においては、制御不能に陥ることを嫌がった谷本修球団オーナー代行、嶌村聡球団本部長が球団親会社の阪急阪神ホールディングス幹部の“岡田推し”に最後の最後まで反対を唱えていました」(球団関係者)
新聞紙上で選手を批判する手法は旧態依然だが、それを受け止める選手たちとは意思疎通を欠くばかりで‥‥。
「今の若い選手はネット記事に付随するコメント欄やSNSで引用リツイートされることをかなり嫌います。岡田監督にしてみれば、やってることは変わらないのですが、周囲の環境は激変している。そのことに気づいていないのです。不振で6月24日の試合後、2軍行きを命じられた佐藤輝明は周囲に『監督にはついていけない‥‥』と不満を口にしていたといいます。せっかくチームは貯金をたくさん抱えているのに早くも崩壊危機に直面しているのです」(トラ番記者)
幸いにも、投手を中心に阪神は戦力層の厚さは12球団トップとみられる。だからこそ、操縦役の岡田監督が荒い運転で18年ぶりの「アレ」を期待外れに終わらせないよう、祈るばかりである。