老舗アニメーション制作会社タツノコプロの第3代目社長・九里一平氏(本名=吉田豊治)が7月1日に死去していたと、7月19日にタツノコプロの公式サイトで発表された。享年83。葬儀は7月10日に、近親者のみで執り行われた。
1962年10月、漫画家の吉田竜夫氏が自身のマネージメントを担当していた弟・吉田健二氏らとともに「竜の子プロダクション」を設立(その後、現称号の「タツノコプロ」に変更)。九里氏も兄に勧められるままに参加し、竜夫氏が社長、健二氏が専務、九里氏が常務としてスタートした。
「タイムボカンシリーズ」「科学忍者隊ガッチャマン」「いなかっぺ大将」「ハクション大魔王」「昆虫物語みなしごハッチ」「破裏拳ポリマー」など、子供や若者を魅了したヒットアニメは数知れないタツノコプロにおいて、栄えあるカラー作品第1号は、スポーツカーレースをテーマにした「マッハGoGoGo」(1967~68年)だった。
「アメリカナイズされたスタイリッシュな絵柄は、今も鮮明に記憶に残っています」(アニメライター)
かつて2021年10月、テレビ愛知のYouTubeチャンネル〈【公式】テレビ愛知TV Aichi〉に出演した九里氏は「マッハGoGoGo」制作秘話を明かしている。
1967年当時、日本ではカラーテレビが普及しておらず、ほとんどの人が「マッハGoGoGo」を白黒で視聴していた。ところが、実はカラーで制作していたそうで、九里氏が言うには、
「日本では制作費が間に合わない。(テレビ)局、あるいはスポンサーから出るギャラが足りないんですね。そのためにはアメリカに売るしかない、と。それでアメリカナイズしたものを、もともと計算して作ったわけです。アメリカは車文化ですし」
あらためて「先見の明」という言葉が浮かんでくる、タツノコプロ創業メンバーの含蓄ある説明だった。合掌。
(所ひで/ユーチューブライター)