「私にとっては、過ぎ去った季節のこと。まずはおめでとうございます」
南果歩がこう言ってエールを送ったのは、元夫・渡辺謙の再々婚についてだった。6月30日、舞台「これだけはわかってる」の公開ゲネプロに登場した際に報道陣に質問され、答えたのである。
南と渡辺とは2005年に結婚、2018年に離婚したが、南は笑顔を見せながら、次のように続けた。
「誰もが幸せになるために生まれてきたので、今回の作品と共通するんですけれども、いろんな季節を経て、いろんな時間を誰かと過ごして、実りある人生をそれぞれ築いていく。私はもう同じ時間を過ごす人間ではないんですけれども、結婚したからには幸せになっていただきたい気持ちです」
だが周知のように、2人が離婚へと向かった理由は、渡辺の浮気だ。しかも、それが乳ガンから生還後の出来事とあり、彼女としても忸怩たるものがあったことは想像に難くない。
ただ、離婚理由がはっきりしている渡辺のケースとは異なり、きれいごとに終始するあまり、不可解さを拭えなかったのが、最初の夫である辻仁成との離婚劇だったように思う。
2人は約2年半の交際を経て、1995年3月に結婚した。ロックミュージシャンから作家に転身した辻の才能に南がほれ込み、猛烈にプッシュしたことが交際のきっかけだったというが、当時の2人を知る映画関係者は、筆者の取材にこう明かしている。
「辻さんの小説を映画化するため奔走していた南は『指輪や家を買うお金があったら、1フィートでも多くのフィルムを買ってください』と告げ、その言葉に彼がほだされたと聞きましたが、とにかく彼女は筋金入りの辻ファン。会う前から好きだったけど、会ってもっと好きになったと公言していた。それはすごい熱の入れようでしたからね」
その後、南は95年9月に長男を出産。だからこそ2000年4月10日、南からマスコミ各社に対し、突然の離婚発表のFAXが送付されてきた時には驚いた。
南の手書きFAXにはこう記されていた。
〈この度、私たち夫妻は3月30日に離婚届を提出しました。夫も妻も子供もそれぞれが独立した家庭というものを作ってきたつもりでしたが、その中で同じ物を大切にする気持ち、たったひとつでも共有する思いというものがあればいいのだと考えていました。しかし、それらの大事な接点がずれてしまったことが、大きな理由のひとつだと言えます〉
時の流れとともに、歯車が少しずつずれてきた、ということなのだろうが、翌4月11日、テレビ局で記者会見を開いた彼女は、
「別れる現実よりも、8年間一緒に過ごした時間を大事にしたい」
と慰謝料は拒否し、長男の養育費だけ受け取ることで合意したと語って、ハンカチを握りしめた。それが同じ時間を共有し始めてから、5年目の出来事だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。