都立高校へ通う16歳の時、資生堂の秋キャンペーンモデルに選ばれ、「ゆれる、まなざし」で彗星のごとくデビューした真行寺君枝。その後もCMオファーが殺到し、映画やドラマにも出演。一気に人気女優へと駆け上がることになった。
しかし、私生活では同棲していた男性が、ほかの女性と戸籍上の夫婦であることが発覚。失意のどん底に突き落とされる。そんな中で出会ったのが、元テンプターズのドラマー、大口広司だった。だが彼との結婚が、彼女の人生をさらに波乱へと導くことになるのだ。
大口が大麻取締法違反で逮捕されたのは、結婚1年目の1984年9月だった。再起を図り、彼女が出資する形で服飾関係の会社を設立し、86年には長男も誕生した。だが、共同経営者が銀行に不渡り手形を出し、会社が倒産。さらに大口はC型肝炎を患う。
金銭を工面するため、真行寺はヘア写真集を発売するも、すでにブームは終焉。売れ行きは芳しくなかった。その後、真行寺は舞台を中心に活動を続けたが、精神的に疲弊していくばかり。ある時、夫と息子がいる家で精神安定剤44錠を飲み、44時間も眠り続けたことがあったという。
夫婦は4年間の別居生活を経て、2005年6月に離婚。会社倒産による借金から、真行寺自身も2006年に破産宣告を受け、全てを失ってしまうのである。
そんな彼女が久々に芸能マスコミの前に登場したのは、2009年1月26日である。彼女は前年10月、自身の半生を描いた自叙伝「めざめ いのち紡ぐ日々」(春秋社)を出版。その記念パーティーが都内で行われたのだ。 白い着物姿で登場した真行寺はパーティー終了後に囲み取材に応じたのだが、そこで彼女の口から出たのが、くしくも前日の25日、前夫の大口が肝臓ガンのため亡くなっていた、との報告だった。58歳だった。
「先月(12月)25日に、(大口が再婚した夫人から)危篤の知らせがあり、息子と2人で病院に駆け付けて…。ガンと知ったのもこの時でした。その後、意識が戻ったのですが、彼は喉に管を入れていたので声を出すことができず、筆談で『こんな姿を見せたくなかった』『謝りたかったんだよ』と…」
12月28日には、会話ができるまでに回復。真行寺は「望んではならないことまで望んでいたのかもしれません。ごめんなさいね。楽しい時間もあった。ありがとうございました」と伝えたという。
「最後に会ったのは、1月25日の昼頃。息子と病室に行ったのですが、容体が落ち着いていたので、家に帰るとそこから急変したようで。新しい奥様が看取ってくれたので、安心しました。1人で祈らせていただこうと思っています」
1月29日に都内で行われた葬儀。宣言通り、そこに真行寺の姿はなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。