9月12日の巨人戦に1-0で完封勝利し、この時点で阪神の「アレ」マジックは3となった。そしてこの日の試合前、始球式に登場して甲子園球場を大いに盛り上げたのが、競馬界のレジェンド騎手・武豊だった。
熱烈な阪神ファンだという武は、岡田彰布監督と自身のGⅠ80勝にちなんで背番号80でマウンドへ。見事にノーバウンド投球で観客を沸かせたのである。
武は今年の阪神の躍進ぶりに大満足のようで「全然ペースが落ちない。サイレンススズカみたい」と、過去に主戦を務めた名馬を引き合いに出してご満悦。
「武騎手は大逃げでアレしようとしている阪神の強さを、かつての快速馬にたとえました。ところが一部のファンから『サイレンススズカにたとえるのは不吉では』と懸念の声が上がっているのです」(ネットライター)
サイレンススズカは1997年2月の新馬戦に快勝し、クラシック路線での活躍を期待されたが、弥生賞で惨敗。皐月賞には出走できなかった。その後、条件戦とダービートライアルのプリンシパルステークスを勝って日本ダービーに出走するも、9着に終わる。
気性難のサイレンススズカが本領を発揮したのは、翌98年だ。鞍上に武豊を迎えて臨んだ2月のバレンタインSは、逃げ戦法がハマッて圧勝。以降、重賞を3連勝して臨んだGⅠ・宝塚記念は鞍上が南井克巳に替わったが、やはり大逃げが決まる。秋競馬の主役として、大きな期待を背負ったのである。
秋の初戦は天皇賞のステップである毎日王冠。ここでサイレンススズカは、後々まで語りつがれる伝説を作ることになる。鞍上が武に戻ったサイレンススズカは、この年のNHKマイルカップを制したエルコンドルパサーと、前年の朝日杯3歳ステークスを勝ったグラスワンダーという1歳下の無敗の外国産馬2頭を抑えて1番人気に支持され、やはり大逃げで圧勝したのだ。
「エルコンドルパサーはその年のジャパンカップを制し、古馬になった翌年はフランスのG1・サンクルー大賞を勝った。そして凱旋門賞で2着という歴史的名馬になります。グラスワンダーもその年の暮れの有馬記念を勝つと、翌年は宝塚記念と有馬記念を制し、グランプリ3連覇を成し遂げた名馬。この2頭がまるで及ばなかったことが、サイレンススズカの強さを物語っています」(競馬ライター)
さて、満を持して目標である天皇賞(秋)に向かったサイレンススズカ。他馬が恐れをなして出走を回避したため、出走頭数は12頭と少頭だった。快速馬は単勝1.2倍の圧倒的支持を集めてレースに臨んだ。
「まず負けないだろうというのが大方の予想。どんな勝ち方をするのか注目されたのですが…。予想通りのハイペースの大逃げで、はたして何馬身離して勝つのかと誰もが期待した矢先、4コーナー手前で突然失速して、競走中止。左前脚の手根骨粉砕骨折で、予後不良となりました。馬場のわずかなくぼみに足を取られたのでは、と言われましたね」(前出・競馬ライター)
圧勝を目前にして起こってしまった悲劇。このため、一部ファンから「不吉」という心配の声が出たのだろう。阪神を襲う「悲劇」はあるのだろうか。
(石見剣)