また悲劇が起きた。9月9日、岡山県津山市での「子供の送迎忘れ事故」だ。警察発表や地元メディアによると、この日、出産間近の母親に代わり送迎を頼まれていた祖母は、孫の男児(2歳)を車中に置きざりにしたまま、介護助手として働く病院に出勤。夕方、仕事を終えた祖母が「車中でぐったりした男児」を発見したという。男児はまもなく死亡が確認され、岡山県警は10日、祖母を過失致死容疑で逮捕した。
遺族はテレビ局の取材に対し「保育園が確認の電話を入れていれば、防げたかもしれない」と無念さを滲ませた。一部報道では「遺族は葬儀後に保育園を訴える」とも報じられている。
遺族の気持ちは十分に理解できる。問題なのは、遺族に同調する「新聞テレビの集団ヒステリー」だ。「メディアによる集団イジメ」で登園先の園長や保育士が思い詰めて自殺しないか、懸念している。
この悲劇には4つの謎がある。幼児を司法解剖し、警察や地検が祖母を釈放して在宅起訴に切り換えないのには、相応の理由があるのだろう。
【謎1】「魔の2歳児」の存在を忘れることなんてあるのか
【謎2】「送迎を頼まれていた祖母」が送迎を忘れることがあるのか
【謎3】なぜ「登園時の様子はこうだった」という日常の家族間のやり取りがないのか
【謎4】産休に入った母親は一般的に幼児を保育園に預けない
スーパーや娯楽施設、道端で激しく足をバタバタさせて泣きわめく幼児がいる。アレが「魔の2歳児」だ。車に乗せるだけで「イヤー」「ぎゃー」と泣き叫んで、イヤイヤが始まる。虐待ではないかと心配した近所の人に警察に通報されて、両親も祖父母も脱力することすらままある。
車に乗せたら乗せたで「変なとこイジるな」「ボタン押すな」「イヤー」「犬だー」「猫だー」…というやり取りがエンドレスに続く。
車中で子供が眠っているか、なんらかの理由で言葉が発せられないか、「その時点で子供の意識がない」限り、車に乗せた2歳児を忘れることはない。その日、わざわざ送迎を頼まれていたなら、なおさらだろう。
そして一般的な家庭では「小さな怪獣」を祖母に丸投げすることもなかなかない。家族といえども「送迎ありがとう。どうだった」などとメールやLINEで礼を伝え、子供が登園した様子を聞くものだ。
「保育園を訴える」ことで一致団結するほど仲のいい家族が、なぜ「登園確認しなかったのか」疑問が残る。
保育園の「家族と一緒にいるものと思った」「電話をしなかった」という説明も、そこまで非難されることではない。出産間近で母親が産休に入ると、産休期間中は登園をお休みするのが一般的だからだ。
2歳の子供にとって、産休期間は下の子供が生まれるまで母親を独り占めできる貴重な時間。子供の心情を思えば、親が体調不良でもない限り登園させない。ましてや、事故が起きたのは土曜日だ。
看護師でもある自分の経験で言うと、東京都内の保育園でも「土曜日は人手不足だから預かれない」と断られる。教師や警察官、救命救急士、同業の保育士の家庭でも、土曜保育は断わられてしまう。
結果としてエッセンシャルワーカーは両親の勤務シフト調整がつかない場合、我が子を残し、我が子が家の中で事故死するかもしれないリスクと背中合わせに、出勤を強要される。これでは誰も子供なんて産まない。それほど土曜に園児を預かるのはイレギュラーなのだ。
亡くなった2歳児の家庭には、エッセンシャルワーカーの子供を預かるよりも最優先される「よほどの家庭の事情があり」、保育園も土曜保育も含めたできる限りの対応をしていたことが伺える。
それに保育園の確認電話には、意味も効果もない。そういう根性論こそ、働く親にとっては大迷惑なのだ。業種によっては、親は私物のスマホを勤務中はロッカーに入れてるし、いちいち職場に電話されたら仕事にならない。子供を預けている親は接客中、オンライン会議中、授業中、処置中、救急車の中、事務作業中、運転中…なのだから。
今回も保育園が確認電話を入れていたとしても、病院勤務の祖母が着信に気が付くのは昼休み。どっちみち、2歳男児の命は救えなかっただろう。幼児は炎天下の車内にたった10分置き去りにされただけで、絶命する。
卑劣な「テレビの保育園イジメ」を俯瞰していて分かったのは、最も激しく保育園批判をしていたフジテレビ「めざまし8」のコメンテーター、子だくさん弁護士の橋下徹氏とMCの谷原章介が「魔の2歳児に想像を巡らせないほど、育児を良妻に丸投げ」している事実のみだった。
(那須優子/医療ジャーナリスト)