日プロから東京プロレスを経て、新日本プロレスまで、1年先輩の猪木と行動を共にした北沢幹之氏が、その強さを語る。
「自分が日プロに入門した頃から、選手はみんな嫌がって猪木さんと練習しなかった。猪木さんの強さは別格でしたから。練習相手がいないから、いつも自分が駆り出されていたんですけど、こんな強い人いるのかなって思うくらい強くて。おかげで、自分も他の選手に腕なんか極められたことなかったですよ。どうして急速に強くなったのかというと、力道山先生に滅茶苦茶しごかれたからなんだそうですが、『でも、俺はもう先生に負けないんだ』って言っていましたね」
セメントの実力を一段と飛躍させたのが、68~69年に日プロでコーチを務めた 〝プロレスの神様〟カール・ゴッチによる指導。自分の骨の硬い部分を相手の骨の弱い部分に押し当てたり、捻りを入れたり、擦ったりする体の構造を重視した理詰めの攻め、どんな手を使ってでも貪欲に勝つ、という格闘テクニックを身につけた。
「猪木さんは、正当な技術よりも悪いことだけ教わって、マネしていました。目を抉えぐったり、鼻を曲げたり、口を裂いたり、指を簡単に折ったりするコツをです。目を抉るにもテクニックがあって、ただ指を突っ込んでもできません。目の下のくぼみなんかは極められたら我慢できず、そういうことを学んでいました。ゴッチさんとは師弟関係ということになっていますが、一緒に練習を始める前から猪木さんはすでに強くて、サブミッションでも互角の技術を持っていたから、ゴッチさんにも極められることはなかった。相手が何を仕掛けてきてもいいように、裏技を学んでいたんです。一度、アメリカの元アマレスヘビー級王者で、140キロもあるビル・ミラーとガチンコでスパーリングをやって、一本だけ取られたことを後々まで気にしているような人でしたからね」(北沢氏)
ゴッチ特有の相手を倒すことだけを目的にした動きを学び、それを毎日のスパーリングで独自の工夫を重ね、そこで身につけた技が格闘家としての強さと自信の根拠になっているのだという。
ちなみに北沢氏は若手時代、誤解を受けてゴッチから1時間半にわたるスパーリング制裁をされた。裏技を駆使した凄惨な仕置きだったにもかかわらず、最後まで関節を極めさせなかったという逸話を残している。リングスでレフェリーをしていた頃もエース格の外国人選手でコマンドサンボの猛者、ヴォルク・ハンとのスパーリングで一度も極めさせなかったそうだ。
「猪木さんにスパーリングの相手をしていただいたおかげです。よく比較されましたが、ビル・ロビンソンの実力も、裏技も含めれば猪木さんの足元には及ばなかった。もし全盛時に総合の試合が開催されていたら、間違いなく出場していたでしょうね。プロレスラーとして、そういう覚悟のようなものを持っていました。それでもし不利になったら、何でも仕掛けますよ。ゴッチさんに教わったから、悪いことは何でもできますからね」(北沢氏)