旧統一教会に対する解散命令請求が、ついに東京地裁に受理された。日本中を騒がせたあの入信脱退劇から、今年で実に30年。「彼女」はこの解散命令請求受理のニュースを、どんな思いで受け止めたのだろうか。
1993年4月21日、午前7時過ぎ。筆者は「元新体操の女王」山崎浩子さんの、統一教会「脱会宣言」が行われた記者会見場のTBSにいた。
山崎さんは前年の6月25日、東京・麹町の食糧会館で、統一教会に入信していることを公表。同時に合同結婚式への参加を宣言し、「神が選んでくれた人なので、絶対に断りません」と「祝福」への固い決意を語っていた。
ところが親族や牧師らによる懸命の説得によって、心に揺れが生じ始める、翌93年3月6日、自宅から失踪。46日ぶりに姿を現すことになったのが、早朝に行われたこの会見だったというわけである。 開口一番、彼女は言った。
「昨年6月に私は統一原理を真理として信じるとお話したわけですが、全てが間違いだとわかりましたので、脱会することを決意しました。私の本当に軽率な言動でたくさんの方々にご迷惑をおかけし、また多くの人の人生をも狂わせてしまったことを、本当に申し訳なく思っております」
「神様」が決めた結婚相手である勅使河原秀行氏についても、
「彼はすごくいい人で、頼りがいがあって…。でもマインドコントロールされた中で、妄想の中で、どこまでが湧きいずる感情であったのか、もう会わずに白紙に戻すということで整理はついています」
涙をハンカチでぬぐいながらも、はっきりした口調でそう言い放ったのである。
集まった報道陣は200人。会見は山崎さん脱会の記事を1日前倒しで発売する「週刊文春」と、会見を生放送するTBSの仕切りで行われ、司会進行を文藝春秋「マルコポーロ」のデスクが担当。文春関係者によれば、
「教会側からの山崎さんに対する尾行や監視を防ぐため、秘密裡に進めた」
との説明だったが、活字はともかく、中継車の乗り入れが許されなかった他局クルーの間からは、不満の声が上がっていたと記憶している。
山崎さんの会見を受けて、勅使河原氏のもとにも取材が殺到。同氏は、
「まだ愛しています。たとえ彼女が脱会しても、結婚生活は続けていきたい」
という心情を吐露していた。
当然ながら、それが実現することはなかった。だからこそ昨年9月、勅使河原氏が教会改革推進本部長として29年ぶりに公の場に登場した際には、本当に驚かされたものである。
山崎さんは騒動後の1994年3月に発売した手記「愛が偽りに終わるとき」(文藝春秋)の中で、勅使河原氏との別れ際に『じゃあ浩子さん、またね』という彼に対し『またはないよ』と答えたと綴っている。言葉通り、2人が再会することは二度となかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。