東京都江東区長選をめぐる公職選挙法違反の疑いのある事件で、法務副大臣を辞任した柿沢未途衆院議員(東京15区)をめぐる、永田町の評価は「政界一の嫌われ者」。
立憲民主党の安住淳国対委員長は「率直に申し上げて、副大臣だけではなく議員辞職に値する」と語ったが、自民党内にも同調する声が多い。それもそのはず。柿沢氏は「政党渡り鳥」で、立憲民主党の会派に所属していたものの、与党議員になりたいと、強引に自民党に入ったためだ。
柿沢氏は柿沢弘治元外相の長男。NHK記者、都議を経て、2009年の衆院選で初当選した。政党遍歴は多様で、みんなの党、結いの党、維新の党、そして立憲民主党・社民・無所属の会派に所属した。
野党暮らしが長かったが、統合型リゾート(IR)業者に絡む贈収賄事件で、同じ選挙区で戦ってきた秋元司氏が自民党を離党したのがチャンスとばかりに、都内の名門・麻布高校の先輩のツテを頼って、谷垣禎一元自民党総裁に接近。谷垣氏を通じて、谷垣グループ(有隣会)で代表世話人を務め、選対委員長だった遠藤利明氏に頼み込んで、2021年の総選挙では自民党から推薦をもらった。
だがこれに不満だったのが、東京都連会長だった萩生田光一政調会長らだ。江東区長だった山崎孝明氏らとともに、無所属元職の今村洋史氏を擁立。このため、全国289の小選挙区で自民党が唯一、2人の候補に推薦を出すという異例の展開となった。柿沢氏は今村氏に勝利し、追加公認をもらっている。
問題となった江東区長選は、5選を目指して立候補表明していた山崎氏が3月に、体調不良を理由に引退の意向を表明し、4月に死去したことを受けて行われた。自民党は山崎氏の息子の山崎一輝前都議を推したが、柿沢氏は山崎親子との遺恨もあり、対立候補である木村弥生氏の事実上の選対本部長ともいうべき役回りとなった。木村氏は激戦を制して当選した。
柿沢氏は当選後も東京都連には入れず、遠藤氏の地元・山形県連預りとなっていた。次期衆院選に向けてもなかなか15区の支部長にはなれなかったが、萩生田氏も渋々、支部長を認めた。
柿沢氏は9月の内閣改造では法務副大臣となり、「わが世の春」を謳歌していたところだった。ところが、木村氏が有料のインターネット広告をYouTubeに掲載した問題で、提案していたのが柿沢氏であることを本人が認め、法務副大臣の辞任に追い込まれた。
柿沢氏を苦々しく思っていた萩生田氏をはじめ、都連もここは安住氏に同調し、柿沢氏の議員辞職に向けた圧力を強めるとみられる。
(喜多長夫/政治ジャーナリスト)