その病名から、あるいは心の病なのではと思われがちな「もやもや病」だが、実はそうではない。脳に酸素と栄養を送る太い動脈が詰まり、不足した血液を補うための細い異常血管が増殖していく。最悪、死に至ることもある脳血管障害として厚生労働省から難病指定を受ける、原因不明の特定疾患なのである。
くしくもそんな「もやもや病」を世間に知らしめることになったのが、「レイニーブルー」「壊れかけのRadio」などのヒット曲で知られる、徳永英明だった。
2001年5月、新潟市内でのコンサート中、急に歌詞が出てこなくなり、ステージ脇に下がった徳永。会場がざわめく中、なんとかステージに戻り、最後まで歌い切る。翌日の公演もどうにか乗り切ったのだが、東京に戻って精密検査を受けると、そこで告げられた診断結果が「もやもや病」だったのである。当時、レコード会社関係者は、筆者の取材にこう語っている。
「作詞作曲が連日深夜に及ぶこともあり、そうなれば当然、タバコと酒の量が増える。しかも徳永さんは大の麻雀好き。仕事が終わってから仲間と麻雀やゲームに熱中する日々で、とてもではないが、体調管理に気を遣っているとは言い難い状況でしたね」
その結果、全国ツアーは中止され、1年8カ月にわたる療養生活を余儀なくされることになる。
そんな徳永が休養期間を経て報道陣の前に元気な姿を見せたのは、2002年11月14日。長かった髪をバッサリ切り、顎ヒゲにセーターとジーンズ姿で現れた徳永は療養中、体への負担を和らげるよう、サーフィンやサイクリングをしたり、音楽制作しながら過ごしたとして、
「新しい人生が始まる感じで、自然体で歌っていけそうな実感はあります。病気になったおかげで、堂々と普段着のままで、もう格好つけるのはやめようと思いました」
すでに年明けの1月にはシングル、2月にはアルバム発売を予定しており、再開したレコーディングについては、歌うことの素晴らしさを改めて痛感したという。
「恐ろしさもあったけど、声を出した時は感無量でした。ライブが僕の仕事。早く(ファンの前に)帰りたい」
復帰後の徳永はタバコと酒をスパッとやめ、ゲームや麻雀も控えていた。だがいかんせん、この疾患は原因が不明なため、特効薬がない。2016年2月上旬には突然、自宅で倒れ、救急搬送されたとの一報が流れる。筆者も関係各所への取材に走ることになった。
後日、所属事務所は「救急搬送ではなく、手のしびれが続いたため、自分で病院に行き、2月22日に左複合バイパス手術を行い、成功した」と発表したが、専門医によれば、
「一度手術をしても、また別の場所が詰まる場合がある。それがこの病気の厄介なところ」
現在は元気にコンサート活動を再開している徳永。
「病気とは闘わずに、うまく付き合っていきたい」
と語るものの、改めて「もやもや病」の恐ろしさを知ったのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。