今年の映画賞レースが始まっているが、何本かの注目作品が候補にも入ってこない。作品評価が低いのか、賛否両論があるのか、よくわからない。その1本に挙げたいのが塩田明彦監督、内野聖陽主演の「春画先生」だ。これが実に奇態で、面白い作品であった。
冒頭から意表をつく。いきなり、春画先生と呼ばれている春画の研究家(内野)が、喫茶店内で地震が起こったすぐ後、そこで働く女性・弓子を呼び止める。
自身所有の春画を見せると、興味があったら家に来て下さいと誘うのだ。しかも女性がウキウキしながら家を訪れるシーンが続く。今の時代に、ありえない設定だ。先生の行為はセクハラまがいとも受け取れる。女性の行動もリアルさからは距離がある。
ところがその時点で、増村保造だなと、すぐにわかる。1950年代末から大映などで大活躍した、巨匠監督である。感情、欲望をストレートに吐き出す直情径行の人物造形に定評がある。日本的な情緒性を極力排除した監督だ。人の言葉、行動の曖昧さを嫌った。
とはいえ、増村作品は破天荒すぎて、70年代に名画座で多くの作品を見た時でも、かなり「際どい」感じもあった。ましてや今の時代であれば、拒否感を示す人がいても不思議ではない。そんな冒頭シーンだった。
赴いた先生の家で、弓子は春画の「核心部分」に動揺を隠せないが、先生からそこ以外を見ることを指摘されると、目を輝かせる。春画の魅力である、細やかで緻密な描写に気づくのだ。
春画との出会いから導かれたかのように、弓子は行動を大胆にさせていく。不確かな感情、欲望(性的側面を含めて)が、春画によって解き放されていく風に描かれる。
このあたりの描写から、不思議な感覚に陥ってくる。観客もまた、時折挿入される春画の交合以外の細部を見るようになるからだ。人物の生々しい姿態、ほつれ毛、着物のあでやかさ。人のぬくもり、生命の息吹が、伸びやかに迫ってくる。観客が弓子の解放部分の芯に共鳴、共振していくと言ったらいいか。
弓子を、北香那が演じる。どちらかというと、おしとやか、おとなしそうに見える風貌の弓子だが、北が役を演じ始めると、妙な獰猛さが画面を覆ってくる。そこから奔放さが溢れ出る感じである。
本作は、春画に漲る生命力にインスパイアされた弓子が、自身の内面の旅に向かう話にも思える。曖昧な内面が形を伴い、肉体から突き出てくる。人間の本質とは、全くもってわからないものである。
映画賞は絶対ではない。今ほど映画の評価軸がバラバラな時代はないのではないか。その思いを強くしつつ、だからこそ「春画先生」をお勧めする。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。