2018年のサッカーW杯ロシア大会で日本代表を率いてベスト16の快挙を成し遂げた西野朗氏が、播戸竜二氏のYouTubeチャンネルに出演。ガンバ大阪監督時代(2002年~11年)の裏話を語った。
1998年から指揮した柏レイソルの監督を01年に解任された西野氏は、
「レイソルをクビになってから半年間、テレビでJリーグを観て、ガンバは面白いチームだなと思っていたら数日後に当時の強化部長から電話をもらった。え!?っと思って。数日前に自分がいい仕事したいなと思ったクラブから電話があったから、1回話を聞いてみようと思って」
こうしてガンバ大阪の監督に就任することを決めたが、埼玉県出身の西野氏は就任にあたってこんな「努力」をしたという。
「大阪といったら異文化じゃん。違う世界で海外と同じ。周りも『関西は絶対合わない』と言われたが、いろんな人が後押ししてくれた。選手たちが関西人中心でボケとツッコミぐらいは覚えとかなきゃいけないなと思って、新宿のルミネ(吉本興業の劇場)に通ったのよ。トークのキャッチボールはためになった」
大阪で暮らすうちに関西弁も身についたようで、ミーティングで思わず「それあかんやろ」と関西弁を使ったこともあったとか。
そして就任から4年目の05年に悲願のリーグ優勝を達成。12年からはヴィッセル神戸、14年からは名古屋グランパスの指揮官となり、18年に日本代表の監督として白羽の矢が立つことになる西野氏。関西弁まで身に着けようとした選手とのコミュニケーションの努力が、W杯ベスト16入りに結びついたのだろう。
(鈴木誠)