クリスマスの午後5時前、東京都北区にあるJR赤羽駅前で、4棟を焼く火災が起きた。赤羽出身の筆者にとって「1000円でベロベロに酔えるセンベロの聖地」というより、朝から酔える「朝飲み、昼飲みの聖地」である。荒川沿いの工場で夜勤を終えた人たちが飲めるよう、朝7時から開店する飲み屋もある。午前11時を回れば各店で焼鳥やホルモン焼き、ウナギを焼くタレの香ばしい香りと白煙が立ちこめるのだ。
そんな調子だから、逃げ遅れた酔っ払いがいなかっただけでも奇跡だった。
翌26日の朝、まだ焦げ臭さが残る焼け跡周辺には地元商店街の人たちや野次馬が集まり、犠牲者が出なかったことを慰め合い、励まし合っていたのだが…(写真)。
野次馬や近所の住人の誰もがこう口にする。
「このまま街が壊されていくのかな」
火事が起きた赤羽駅東口の商店街では、再開発問題が浮上している。築60年以上の木造店舗が密集しており、再開発自体は時間の問題ではあったが、2011年以降はタワーマンションが林立するようになる。そして2023年の統一地方選で元職を破った山田加奈子区長と北区まちづくり推進課が「赤羽小学校の教育環境への配慮」などと、イケズなことを言い出した。
つまりタワマンを購入するような「金持ち世帯の子供」が飲み屋街のど真ん中にある区立小学校に通うのはいかがなものか」というのは建前で、駅前の一等地に老朽化した区立小学校があるのを快く思わない、一部勢力がいるらしい。
その北区立赤羽小学校のほか、通りを挟んだアーケード商店街に隣接する赤羽会館、赤羽公園を含めた43ヘクタールもの広大な駅前エリアを3分割した再開発計画が持ち上がる。12月1日、北区長から東京都知事あてに、市街地再開発組合設立申請書を出したと発表した矢先の火事だった。
計画では赤羽小学校は、東京駅前の東京ミッドタウン八重洲内に誕生した中央区立城東小学校(日本橋城東小学校と京橋昭和小学校)のように、複合ビルに否応なく取り込まれ、今のような校庭もなくなる。戦前には日本陸軍の関係者が塩を舐めながら酒を飲んでいたセンベロ飲食店街も、1軒残らず壊される…。
無個性な複合ビルは都内だけでも飽きるほどあるが、酔っ払いを横目にランドセルを背負った小学生が登下校するという、世にも奇妙な秩序が保たれている「聖地」は赤羽しかない。
年越し、実家に差し入れようと思っていた駅前の老舗おでん屋さんも今回の火事の影響で停電しており、このまま永遠に食べられなくなるのかもしれない。
木造家屋の密集地帯でありながら延焼が4棟で食い止められ、商店街の人達を守ったのは、数年後には潰される赤羽小学校のプールの水だった。
(那須優子)