1993年春からライバル団体の全日本プロレスは、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の四天王がストーリー性や言葉に頼らないリングの内容のみで勝負する1話完結・完全決着のハイレベルなプロレスによって平成黄金期を迎えるのに対し、新日本プロレスは92年秋からの天龍源一郎率いるWARとの対抗戦を機に、他団体を巻き込んだ対抗戦を主軸にしていった。
94年2月にWARとの対抗戦に一区切りがつくと、半年後には髙田延彦率いるUWFインターナショナルとのありえないはずの対抗戦が動き出す。
なぜ、ありえないのかというと、両団体には相容れない歴史があったからだ。
91年5月に旗揚げしたUインターはバッドニュース・アレン、ベイダーの引き抜きによって新日本への挑発を繰り返し、92年10月26日には「他団体と交流戦をやるんだったら、俺は髙田さんと戦いたい」という専門誌に発した蝶野正洋の言葉尻をとらえて、Uインターの鈴木健取締役とルー・テーズがアポなしで新日本の事務所にいきなり出向いて、対戦要望書を提出するという業界のルールを破るアクションを起こした。
その1年3カ月後の94年2月、Uインターは再び動いた。優勝賞金1億円を机の上に並べて「プロレスリング・ワールド・トーナメント」の開催を一方的に発表したのである。新日本の橋本真也、全日本の三沢光晴、WARの天龍源一郎、リングスの前田日明、パンクラスの船木誠勝に招待状を送ったことを公表。
これまた下交渉なしの掟破りのアクションに「一体、誰が考えているんだ!? 宮戸なのか!? これはプロレス界の恥さらしだぞ。あいつら死ね! 死んだら俺が墓に糞ぶっかけてやる!」と、長州が激怒。もはや新日本とUインターが同じテーブルに着き、同じリングに上がることはないだろうと思われていたのだ。
ところが95年7月に新たな展開を迎える。Uインターから離脱した、山崎一夫が新日本参戦を宣言。事実上の新日本による山崎引き抜きである。Uインターが黙っているはずがなく「G1クライマックス」開幕日の8月11日に、新日本と山崎に対して出場自粛を求める通知書を送付したと発表。新日本が無視して山崎を出場させると、今度はG1優勝戦当日の15日に「法的措置も辞さない」と記者会見を行った。
ここから泥沼の中傷合戦に発展したが、それは表向きの話で‥‥実はUインターの鈴木取締役は武闘派の永島勝司取締役ではなく、倍賞鉄夫取締役に連絡して全日空ホテルで会談の場を持った。そこには永島も同席し、新日本側が和解金として700万円を提示したことで、山崎引き抜き問題はあっさり解決した。
そして、ここから永島VS鈴木の仕掛け人同士の攻防が始まる。鈴木は永島に和解の証として若手同士の対抗戦を提案したのだ。
新日本はこの年の4月に北朝鮮で開催した「平和の祭典」で2億円の負債を抱えていた。永島はこれを負債返済のチャンスと考えて「いや、トップから行こう!」と持ちかけ、新日本とUインターの全面対抗戦が極秘裏に事務方レベルでスタートした。
だが、事はスムーズに進んだわけではない。永島は「長州の気性だと、髙田と会わせたら話が壊れる」と判断して、交渉の場に長州を出さなかった。一方の鈴木も「ビジネス面の話し合いと言ってもシュートでしたね。永島さんと怒鳴り合いになるのはしょっちゅうでした」と振り返る。
永島も鈴木も最終判断は長州と髙田に委ねた。8月24日午後2時に新日本とUインターがそれぞれに記者会見を行い、最後に長州と髙田が電話で会談する状況を作った。
Uインターの事務所では閉ざしたドアの向こうから髙田の怒声が聞こえ、新日本の事務所では長州が山中秀明営業部長に「ドームを押さえろ!」。あの電話会談は、まさしくシュートだった。
「よく髙田が乗ってきたなっていうのはあるよ。でもあれは髙田の方だけがまな板に乗ったんじゃなくて、こっちだってまな板の上に乗った。お互いにまな板の上に乗ったんだ。だから、やる側にそういう緊張感があるんだから、それがマスコミやファンに伝わらないわけがない」と、長州は当時の状況を振り返る。
10月9日、東京ドームで実現した全面対抗戦は超満員札止め6万7000人を動員。大観衆が見つめる中で武藤が髙田との頂上決戦に勝利した。
その後、96年1.4東京ドームでは髙田が武藤に雪辱を果たしてIWGP王者となったが、4.29東京ドームで橋本が髙田からベルトを取り戻し、約半年で全面戦争は終了。総合的な戦績は新日本の28勝23敗の僅差だったが、一発目で髙田が武藤に敗れたというインパクトが強く、事実上、その初戦で勝負はついていた。
「Uを消してやる!」という長州の宣言通りに96年12月27日、後楽園ホール大会を最後にUインターは消滅したのだった。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。