2022年にデビュー60周年を迎え、現在も精力的にコンサートツアーで全国を回る舟木一夫。しかし、この60年は決して平坦ではなかったと振り返る。華々しいデビー時から、ほとんど仕事ができなかったどん底の時代、そして、ファンや歌に対する思いまで天才テリーに洗いざらいを語った。
テリー 舟木さん、全然変わらないね。太ったりしないの?
舟木 太らないですね。時代劇をやる時にわざと太ったんですけど、70過ぎたら自然に元に戻りましたね。もともと太らない体質なんですかね。
テリー 髪の毛だってフサフサだし。
舟木 もちろん、ヘアダイはしてますよ。全然しなかったら、もう80%ぐらい白いですよ、きっと。
テリー それも格好いいけどね。
舟木 ただね、僕の場合、どちらかと言えば、ファンの方が若くいてほしいって。
テリー それはしょうがないね。舟木一夫だからね。どうなんですか、その「舟木一夫」という大ブランドを背負って生きるというのは。
舟木 いや、僕としては志と違っちゃったわけですよ。最初はブルースが歌いたくて歌い手になりましたから。
テリー ブルースって例えばどういう?
舟木 「夜霧のブルース」とか淡谷のり子大先輩のブルースだったりね。だから、自分ではある程度時間をかけて、大人の歌い手になりたいなと思ってたのが、いきなり(「高校三年生」の節で)「ターンターンラッタッタ」になっちゃって。
テリー 超特大ヒットですよね。
舟木 だから、その意味では30代40代ぐらいが、自分と折り合いをつけるのが難しかったですね。「俺はブルースを歌いたいんだ」っていう気持ちは消えないでしょう。でも、お客さんが求めるのは青春ソング。もう60歳の声を聞いた時は、「これでいいんだ」ってなりましたけどね。
テリー 長嶋監督が「ミスター」を背負うみたいなもんですよね。そのぐらい舟木一夫って特別だから。
舟木 でも、本人はそういうのわからないんです。
テリー 僕なんかも舟木さんの歌で育ってますから。修学旅行で北海道に行った時、みんなで舟木さんの歌を歌いましたよ。あと僕が覚えてるのは、舟木さんが四谷の銭湯に入ってる写真が「平凡」か何かに載って、ファンが殺到したという。
舟木 そうですね。女湯がいっぱいになった(笑)。だから、僕の世代のお客さんは純情ですよね。僕もそうだったように、田舎の子にしてみたら東京そのものが外国みたいなもんでしょう。僕も生まれは濃尾平野のど真ん中ですから。
テリー 舟木さんにとっても東京は外国でしたか。
舟木 僕も高校の修学旅行の時、東京駅で1時間の自由時間があったんです。「どこ行ってもいいぞ」って言われて。で、銀座へ行きたかったんだけど、「集合時間に遅れたらどうしよう」って、とうとう行けなかった。
テリー 今考えれば1駅ですけどね。
舟木 そう。でも、その時は銀座と東京駅の距離感がわからなくて。そういう思い出がありますね。
ゲスト:舟木一夫(ふなき・かずお)1944年、愛知県生まれ。1963年、「高校三年生」でデビュー。累計230万枚の大ヒットに。同年、「第5回 日本レコード大賞新人賞」受賞、「NHK紅白歌合戦」に初出場。その後も「修学旅行」「学園広場」などのヒットを飛ばし、西郷輝彦、橋幸夫と共に"御三家"と呼ばれた。また俳優としてもNHK大河ドラマ「源義経」、連続テレビ小説「オードリー」、「銭形平次」(フジテレビ系)など多くの映画・ドラマ・舞台に出演。銭形平次の主題歌「銭形平次」も代表曲のひとつ。2022年に芸能生活60周年を迎え、現在も年間ツアーや座長公演を開催。「舟木一夫コンサート2024」を全国で開催中。「舟木一夫コンサート 2023ファイナル 2023年11月16日 東京国際フォーラムA」DVD&CD発売中。