98年2月、自身の追っかけと報道されたクリスティーン夫人との「デキちゃった婚」を発表。これには当時を知る角界関係者さえ驚きを隠せない様子だ。
「相原と別れた後、曙は後援会の娘で東京在住のOLと、金星(美人)と評判だった九州の料亭の一人娘に夢中でした。3億円ともいわれる親方株の資金を調達してくれるスポンサーを探していたので、料亭の一人娘は願ったりかなったりの相手だったはず」
このデキ婚に、後援会会長は怒り心頭。
「相原勇と別れられたのは一体誰のおかげなんだ! 曙には5人の愛人がいて抜き差しならない関係だった。それを清算してあげたのに挨拶もない!」
挙げ句の果てに、後援会まで解散、まさに前代未聞の珍事となった。
97年夏場所以降、両膝の古傷の悪化から優勝から遠ざかっていた曙だが、00年に突如復活、名古屋場所と九州場所で2度の優勝を果たす。しかし同時期、「大相撲の八百長」を告発した元小結・板井圭介氏は〝注射力士〟として横綱・曙を実名で名指しした。
ベテラン相撲記者が振り返る。
「曙は師匠東関親方の娘との〝政略結婚〟も断っていたため、年寄株の入手はならなかった。そのため、親方になるためには優勝10回を重ねて、大横綱となるしかなかったのです」
01年1月、曙はついに引退を表明。相撲協会から功労金1億円が贈られたものの、親方株購入への資金難は解消せず。
「実は親孝行で現役時代、勝ち越した給金は丸ごとハワイの両親に送金していた」(相撲記者)
土俵上の礼儀正しさや謙虚な態度は相撲関係者やファンからも「日本人より日本人らしい」と称賛された曙だが、12年、週刊アサヒ芸能のインタビューでは「その見立て」について流暢な日本語で語ってくれた。
「それは勘違い。日本人とかハワイ人とか関係ない。『人間的』か『人間的じゃない』か、なんだよ。(略)あの当時、女性と食事しただけでいろいろ書かれた。何が悪いの(笑)」
03年11月に相撲協会を退職し格闘家に転身。同年大晦日にボブ・サップ(50)と対戦し、失神KO負けという衝撃の試合は瞬間視聴率43%を記録。裏の紅白歌合戦をKOする格闘技デビュー戦となった。
元週刊プロレス編集長・ターザン山本氏は口惜しそうに語る。
「54歳はいかにも若若すぎる。サップ戦はとんでもなく話題になったけど、格闘技が似合わなかったね。プロレスに転向してもあの体格と持ち味を生かしきれなかった。うまくプロモートすれば世界的なスターになれた。だってギミックじゃない本物の横綱だよ。人を押しのけてものし上がるという連中ばかりの中、曙は人がよすぎた。押しが弱いというか遠慮がち。そこが日本人ぽかったのかもね」
超人的体躯からのツッパリ相撲で土俵を沸かせ、私生活も波乱万丈。不世出の偉大な横綱に合掌。