同期入門の若貴兄弟と幾多の名勝負を繰り広げきた、第64代横綱・曙太郎さんが心不全で他界していたことがわかった。まだ54歳だった。
アメリカ・ハワイ州オアフ島出身の曙さんは、外国人として初の横綱に上り詰めた傑物。幕内では555勝198敗181休で勝率は7割4分1厘だが、横綱に昇進してからは432勝122敗166休と7割8分にまで高めている。
横綱在位48場所は当時歴代4位にあたり、番付上「1人横綱」を務めたのは11場所と、歴代3位。責任が強く、マジメな人柄が浮かび上がってくる。
そんな曙さんのK-1参戦には驚かされた。
大相撲引退後は後進の指導にあたっていたが、日本相撲協会の体制に不満を抱き、2003年11月5日に退職願を提出。これが受理されると翌6日の記者会見で、驚きの事実が発表されたのである。それがK-1挑戦だった。
2003年12月31日、「ザ・ビースト」と呼ばれるボブ・サップとのデビュー戦。1ラウンド終了間際の2分58秒にサップのラッシュパンチを受けると前のめりに倒れ、1ラウンド失神KO負け。
「その衝撃的なシーンの瞬間最高視聴率(関東地区では43.0%)は、民放局が史上初めて『NHK紅白歌合戦』を上回った。快挙を成し遂げたのです」(テレビ関係者)
2017年4月に体調の異変によって救急搬送され、長く闘病生活を続けてきた。もう誰とも、何とも闘わなくていいのだ。
(所ひで/ユーチューブライター)