出資企業がチーム運営から撤退したため1998年いっぱいで活動を終え、翌年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に吸収合併された悲劇のチーム、横浜フリューゲルス。最後の天皇杯で優勝を飾り、有終の美を飾ったことは、サッカーファンの記憶に今も残っている。
美談とされたこの天皇杯Vが、実際は違っていたことを、元キャプテンの山口素弘氏が明らかにした。
前園真聖氏のYouTubeチャンネルに、フリューゲルスに所属していた山口氏と渡邉一平氏が出演し、「横浜フリューゲルス同窓会」と称してトークを繰り広げると、話は問題の天皇杯へ。
吸収合併が発表されると選手は署名活動を行ったり、川淵三郎チェアマンに直談判したりと、チーム存続のためにあらゆる手を尽くしたが、
「承認までは粘ろうと思って。承認する時は教えてくれって言ったんだけど、教えてくれないで発表した。それでみんな爆発しちゃった。これで本当にダメかと」
山口氏は当時をそう振り返った。
母体となっていたANAへの抗議として、試合前の写真撮影で選手がユニフォームのANAロゴを隠す抗議活動を展開したが、その時にはこんなエピソードも。
「胸にANAと(共同出資する)佐藤工業のロゴがあって、ANAを隠そうということになっていたのに、薩川了洋が佐藤工業の方を隠してANAを前面に押し出しちゃった(笑)」(山口氏)
そうした状態で臨んだ天皇杯で優勝を飾り、渡邉氏は「できすぎなぐらいのシナリオ」としたが、山口氏は、
「そんなきれいなもんじゃないよ。初戦で今の徳島ヴォルティス、当時の大塚製薬とやって負けると思った。みんなガチガチに固くて。報道陣は、負けたら終わりだから最後を撮ろうして、すっごい来るし。もともと天皇杯って、下のチームに足元をすくわれることもある。大塚製薬は外国人がいて強かったから、一発目で負けるかなとなったけど、なんとか盛り返して勝ってホッとした」
次は甲府(現・ヴァンフォーレ甲府)と対戦。
「FWにバロンていうでかい選手がいて、嫌だなと。甲府はJのチームを破ってきたから、よけい嫌で」(山口氏)
準々決勝でジュビロ磐田、準決勝で鹿島アントラーズを破り、1999年元日、国立競技場で清水エスパルスと対戦。決勝戦の試合中、山口氏はこんなことを考えていたという。
「試合は2-1で勝っていたけど、追いつかれたらもうちょっとできるな、とか考えていた。勝ちたいし優勝したいけど、追いつかれたらこのメンバーでもう少しできる」
最後に優勝を飾ったが、その道中は決して簡単ではなかったのである。
(鈴木誠)