円安とインバウンドの影響もあり、今年上半期の東京ディズニーランド及び、ディズニーシーへの来場者数は、想定をはるかに上回る数字を記録したと伝えられる。
世界のディズニーランドの中庭付近にそびえるのが、シンデレラ城やオーロラ城といったメルヘンチックな城。実はこれらのモデルである城のひとつが、ドイツのバイエルンに佇むノイシュヴァンシュタイン城なのだという。
だが、実はこの城では以前から、幽霊の目撃談があとを絶たず、それこそが城の主、バイエルン王ルートヴィヒ2世だという。中世ヨーロッパ歴史家の話を聞こう。
「ルートヴィヒは、父マクシミリアン2世と、母でプロイセン王女マリーとの間に1845年、長男として誕生しました。祖父ルートヴィヒ1世の退位に伴い、父が国王として即位し、王子としての道を歩み始めることになります。しかし、幼少期から騎士道に強く憧れを抱くルートヴィヒは美少年を愛し、また戯曲、オペラに浪費を繰り返す放蕩王子として知られることに。国王の側近たちにとって、疎ましい存在だったといいます」
1864年3月、父マクシミリアン2世の崩御により、バイエルンの国王となった彼は即位後、幼少の頃から憧れだった作曲家ワーグナーを宮廷に招き(ソリが合わずすぐに追放したようだが)、さらにヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキームゼー城や、大トリアノン宮殿そっくりのリンダーホーフ城を建設させるなど、その放蕩ぶりはさらにエスカレートすることになる。
「ところが1870年の普仏戦争で弟のオットーが精神に異常をきたすと、ルートヴィヒも自分の世界にのめり込み、外部との接触を遮断するようになった。そこで政府はルートヴィヒ2世の廃位を計画。精神疾患があるとして、狂人のレッテルを貼ることになったんです」(前出・歴史家)
政府によって廃位されたルートヴィヒ2世は、ミュンヘンの南にあるシュタルンベルグに送られ、ベルク城で暮らすことになった。そしてなんと翌日、ベルグ湖を散歩中、担当医とともに水死体となって発見されることになるのである。
しかし、当局による捜査で、それが他殺なのか自殺なのかがはっきりしないまま、時が流れた。その後、ルートヴィヒ2世が暮らしていたノイシュヴァンシュタイン城は地元の観光名所となったが、いつの頃からか、城のあちらこちらでルートヴィヒ2世の幽霊がたびたび目撃されることになったというのである。
政府から妄想に取り憑かれた異常な人物として、40歳にして王位から引きずり降ろされただけでなく、湖で謎の死を遂げた悲劇の王。もしかしたら城を訪れる観光客に、彼の魂が何かを訴えかけているのかもしれない。
(ジョン・ドゥ)