名越 菅義偉さんとも積極的に関わって「リアリストにしてプラグマティスト」と評しています。いつ頃からの付き合いですか。
鈴木 98年の自民党総裁選において、梶山陣営で最も戦闘力があったのが菅さんで、それ以来です。彼は弁の立つタイプではない。菅さんが目指しているものが国民に伝わらなかったのは残念でしたが、政治家としては有能だと思います。梶山さん同様「三度の飯より政治が好き」で、政治の役割についてもよくわかっている方です。
名越 具体的な成果として何を評価しますか?
鈴木 「携帯料金の引き下げ」や「ふるさと納税」の実施。「インバウンド政策」も菅さんが進めました。どれも官僚が抵抗する案件ですが、物の見事に粉砕している。あれこそ政治家の仕事でしょう。
名越 本書では、菅さんに政権構想を持っているか尋ねたら「ないんだよねぇ」と答えられて、引っくり返ったというエピソードが紹介されていました。
鈴木 あれは冗談だと思いますけど、大風呂敷を広げるのが好きではないのは確かです。しかも「自分は首相にならない。担ぐ側だ」と明言してきたから、政権構想をいきなり語り出すのも不自然だとわかっている。なかなかしたたかですよ。
名越 菅さんは梶山さんのあと、安倍さんの第一次、第二次政権でも原動力になったわけですが、2人は政治手法もバックグラウンドもまったく違いますよね。
鈴木 拉致議連で出会った時から、普通の世襲議員とは別格だと感じたらしいです。梶山さんの次は安倍さんだと思ったのでしょう。
名越 安倍さんを首相に担いだものの、第二次安倍政権では、官邸を今井尚哉秘書官に牛耳られたのは予想外だったようですね。
鈴木 安倍さんに「文藝春秋」で掲載する原稿の叩き台を提案した時、菅さんや官邸幹部のチェック済みにもかかわらず、今井さんに引っくり返されたことがありました。それでいいのかと菅さんに尋ねても無言でした。経済は今井さんに任せたのでしょうが、うれしくはなかったはずです。
名越 外交も今井さんに牛耳られて、外務省も苦々しく思っていたと聞きます。
鈴木 残念ながら、安倍さんは人を見る目がない。しかも一度信用すると、すべて丸のみしてしまう。「一億総活躍社会」など意味不明なスローガンに乗ってしまうのがその典型で、そこは安倍さんの弱点だったと思います。
ゲスト:鈴木洋嗣(すずき・ようじ)1960年、東京都生まれ。84年、慶應義塾大学を卒業、株式会社文藝春秋入社。「オール讀物」「週刊文春」「諸君! 」「文藝春秋」各編集部を経て、04年から「週刊文春」編集長、09年から「文藝春秋」編集長を歴任。その後、執行役員、取締役を務め、24年6月に同社を退職し、シンクタンクを設立。
聞き手:名越健郎(なごし・けんろう 拓殖大学特任教授。1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシアに精通し、ロシア政治ウオッチャーとして活躍する。著書に「独裁者プーチン」(文春新書)など。