「八重樫東VSローマン・ゴンサレス」WBC世界フライ級タイトルマッチ・2014年9月5日
ボクシングでニカラグア初の世界王者は「貴公子」と呼ばれたアレクシス・アルゲリョである。
178センチの長身、長いリーチをいかしたスタイリッシュなボクシングで3階級(フェザー級、スーパーフェザー級、ライト級)を制覇した。
日本人に強烈な印象を残したのは1975年10月12日、東京・蔵前国技館でロイヤル小林を挑戦者に迎えたWBA世界フェザー級の3度目の防衛戦だ。
小林は72年ミュンヘン五輪にも出場しているアマチュア上がりのエリートながらハードパンチの持ち主で、〝KO仕掛人〞の異名を取っていた。
結論から言えば、アルゲリョは小林を歯牙にもかけなかった。
5回、体を左右に振りながら前進する小林に、槍のような右ストレートで動きを止める。続けざま左右の連打でダウン。かろうじて立ち上がった挑戦者に猛攻を仕掛け、左ボディでフィニッシュした。
そのアルゲリョの教え子が、世界4階級制覇(ミニマム級、ライトフライ級、フライ級、スーパーフライ級)王者のロマゴンことローマン・ゴンサレスである。12歳でアルゲリョの手ほどきを受けた。
ロマゴンは日本人キラーでもあった。2008年1月14日、松本博志に判定勝ち。08年9月15日、新井田豊(当時WBA世界ミニマム級王者)に4回TKO勝ち。09年7月14日、高山勝成に12回判定勝ち(同級王座防衛戦)。
ロマゴンとグローブを交えた4人目の日本人選手がWBC世界フライ級王者(当時)の八重樫東。対するロマゴンは同級1位。挑戦者ながら、下馬評はロマゴン圧倒的有利。39戦無敗(33KO)のレコードが怪物のイメージを増幅させていた。
「もう片道燃料で勝負するしかないでしょう」
覚悟を決めたような口ぶりで八重樫はこう話し、続けた。
「パンチをもらうのは覚悟の上。問題は僕の体が、どこまでもつか。ただ僕のパンチも多少は当たると思うので、頭をつけて終盤はグジャグジャの戦いに持ち込みたい。燃料がなくなったら、命がけで突っ込むだけですよ」
要するに肉を切らせて骨を断つ——。玉砕も辞さずというわけだ。
2014年9月5日、東京・代々木第2体育館。
3回、八重樫の左に合わせるようにロマゴンの左フックが飛んでくる。八重樫、ダウン。それでも八重樫は腰を引かない。リング中央で果敢な打ち合いを挑み、王者の矜持を示す。
中盤に入ってもロマゴンの連打は止まらない。八重樫の顔は無残にも腫れ上がり、視界も遮られた。
サンドバッグと化しながら、それでも抵抗を試みる八重樫。レフェリーに、いつ試合を止められても不思議ではない状況下、八重樫は辛抱強く逆転のチャンスを待ち続ける。
「僕の理想は、僕の試合を見た人たちから『オレもまた明日頑張ろう』と言ってもらえること」
9回前半、八重樫は残り少ない燃料を頼りにラッシュする。まるで怪物に〝特攻〞でも仕掛けるように。
その直後、歓声が悲鳴にかわる。ロマゴンは小刻みな連打で、王者をコーナーに追い詰め、左クロスでフィニッシュした。
完全に塞がれた八重樫の両目が激闘の跡を物語っていた。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。