葛西の政治的な活動の転機は、2006(平成18)年にあった。小泉純一郎政権の最末期に、国家公安委員に抜擢されたのだ。葛西を推薦したのはやはり対労組で、かねて親しかった当時の警察庁長官だった。
同年、「四季の会」で懇意になっていた安倍晋三が後任の首相となると、葛西は新設された教育再生会議の委員に就任し、安倍政権が掲げた「美しい国」構想の教育分野を牽引した。第一次安倍政権は健康問題で早期に退陣するが、葛西はその後も数々の政府系の審議会などの委員を多く務めた。議論に強い論客で、保守系の論陣をまさに引っ張る存在だった。
葛西は政界の保守派のスターだった安倍晋三の最大の財界ブレーンで、2012(平成24)年に第二次安倍政権が誕生した際も、その後ろ盾となった。葛西はそれ以前から、保守派の官僚たちと親しく付き合っていたが、そのネットワークから切れ者の官僚を次々と官邸に送り込んだ。
たとえば、2012(平成24)年から菅政権の2021(令和3)年まで9年間の長期にわたって官僚トップの官房副長官を務めた杉田和博は、公安畑の警察官僚で、葛西とはもともと国鉄の労組対策の頃からの古い仲で、葛西が国家公安委員となった後も密接に連携する間柄だった。杉田はその間、2017(平成29)年に初となる兼任で内閣人事局長にも就いており、絶大な権限を握った。人事権を軸に政治的主導権を自民党派閥から官邸が奪取したのは小泉政権だが、安倍政権で強い権限を持った官邸の官僚の多くが、葛西の人脈での登用であり、それゆえに葛西の政治的影響力は圧倒的だった。
葛西はこうした黒幕的権力を使い、安倍政権周辺の保守陣営で君臨した。民間の保守組織「日本会議」では中央委員から代表世話人も務めた。靖国神社の崇敬者総代にも就任している。NHKなど主要メディアの人事にも影響力を行使し、保守論陣の守護者のような動きもした。安倍政権が掲げた古き時代の家父長制的な日本社会への回帰などの言説を強力に進め、国際政治ではとにかく中国批判を展開した。安倍政権が掲げた多くの政策のうち、特に反共・保守系のものは葛西の路線そのままと言っていいだろう。
政官界へ影響力を行使する活動以外でも、東大をはじめ複数の大学で客員教授など務め、多くの大手メディアで連載を持つなど、晩年まで保守言論活動を精力的に続けた。2020(令和2)年、葛西はJR東海の取締役から身を引き、名誉会長となって経営の現場を離れた。2022(令和4)年、81歳で病没するまで、葛西は官邸での影響力を保持していた。
2021(令和3)年に岸田文雄内閣が発足した時、官僚トップの官房副長官兼内閣人事局長には、前任の杉田副長官の推薦でやはり葛西に近しい警察官僚の栗生俊一が就任。さらに総理政務秘書官にはやはり葛西の人脈に連なる嶋田隆・元経産事務次官が就いた。葛西が創り上げた保守派ネットワークは死後の現在も健在なのだ。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)