「あららら、田中美佐子さんがね~。知らなかった。うらやましいやら、悔しいやら」
これは1995年11月、田中美佐子と深沢邦之との入籍を聞いて、深沢の師匠・萩本欽一が放った言葉だ。
2人の出会いは、萩本が演出した舞台。深沢は明治大学在学時に、萩本主宰の「欽塾」に入塾。「欽ちゃん劇団」で舞台を中心に活動した。1994年に劇団員の東貴博と「Take2」を結成し、活動していた。
とはいえ、トレンディードラマ等で大活躍し、収入1億円と言われた田中に対し、7歳年下でほぼ無名な深沢の月収は約10万円。欽ちゃんでなくとも驚くのは当然のことだが、そんな2人がTBS前の遊歩道で揃って記者会見に臨んだのは、11月16日だった。
「こんなにたくさんの人に写真を撮られるの、初めてでしょ」
と言う姉さん女房の隣でガチガチに緊張する夫に代わり、会見は田中への質疑応答からスタート。
「(結婚を意識したのは)そうですねぇ、会った頃から優しい子だなぁと思って。それが全然、変わらなくて」
すると深沢は、
「基本的に仕事の先輩ですし、彼女の言うことの方がよくわかるというか…」
結婚指輪について、
「彼がお金をいっぱい持っていれば…」
とチラ見する田中に、
「ないわけです」
思わず苦笑いする深沢。なんでも指輪の代わりに、
「犬を…チワワなんですが、買ってもらおうかと」
問題の収入格差については、田中がこう説明した。
「彼は自分のぶんは自分で、私も自分のぶんは自分で。今のところ、うち(田中宅)にいます。彼には有名になってほしいとかというのではなく、彼は彼で自分の生き方を見つけてほしい」
終始、田中がリードするラブラブな記者会見は終了したのだった。
結婚後も2人のアツアツぶりは変わらず、2002年のクリスマスには田中が43歳の高齢出産で、念願の第1子となる長女をさずかった。そのまま順風満帆な日々が続いている、と思われていた。
しかし長い時間を経れば、山も谷もある。結婚から28年目を迎えた2023年6月7日、2人はお互いのSNSで離婚を発表。
〈パパと私はお別れすることになりました。ここまでに至るまで、私たちにはとても長い年月がかかりました。なかなか言えなくてパパも私も苦しかったです。大学生のパパと出会ってから33年以上。心から感謝しています〉
田中がそう思いを綴ると、深沢も具体的な離婚理由には言及しなかったものの、
〈2人で話し合って出した結論ですので、受け止めていただけたら幸いです〉
その後、「女性セブン」が、田中のファンだった女性と深沢のラブホデート記事を掲載したが、はたして卵が先だったのか、鶏が先だったのか。28年前の記者会見時、ずっと深沢の腕を握って片時も離さなかった田中の姿を思い出し、改めて時の流れを感じたのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。