過去のボクシングの取材の中で最もインパクトを受けた試合は何か、と聞かれれば、1995年12月19日に行われたWBA世界ミドル級タイトルマッチ、ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)と竹原慎二の一戦を挙げたい。
近年では2017年に村田諒太がミドル級の世界王者となり、一躍スター選手に上り詰めたが、かつて日本人ボクサーにとって、ミドル級は未知の領域。「体格的に日本人には難しい階級」と言われ、世界タイトル挑戦さえかなわなかった。
そんな時代にミドル級の世界挑戦の権利を得たのが、当時23歳の竹原だった。無敗のまま東洋太平洋王者になると、その勢いでタイトル挑戦にまで辿り着いた。
とはいえその期待度は低く、世間の関心は薄かった。多くの専門家は「勝つ可能性は低い」という見解で、当の竹原でさえ「殺されるかもしれない」と冗談を飛ばしていたが、半分は本音だったのかもしれない。
カストロは「怪物」の異名を持ち、タフさとハードパンチを兼ね備え、4度の防衛を重ねる名ボクサーだった。世界の経験値がない竹原にとっては「相手が悪すぎる」の声が圧倒的。事実、筆者も同じ意見だったのである。
試合会場は後楽園ホール。世界戦にふさわしい場所とは言えないが、それがこの試合に対する「評価」だったのだろう。それでも2000人ほどのファンが集まり、「奇跡」を祈った。
そして奇跡は起きた。3回、竹原の左ボディーブローがカストロのややだぶついた腹にクリーンヒットすると、王者はガックリとヒザをついたのだ。これがカストロにとってプロ・アマ通じて初のダウンとなった。
その後、王者もさすがの力を発揮し、強打を繰り出すが、竹原は互角の打ち合いを見せる。「ドスン!」「バスン!」と重量感のあるパンチ音が後楽園ホールに響き渡り、その迫力に名うてのボクシング記者が「スゲエ…」と感嘆の声を上げるほどだった。
激しい打ち合いの末に試合は判定にもつれ込み、3-0で竹原が新王者となった。
試合後、後楽園ホールの狭い控え室は歓喜に沸く関係者と取材陣でごった返した。その中に、なぜかガックリとうなだれる人物がいた。試合の放映権を持っていたテレビ東京関係者だ。筆者に対し、こう言った。
「生中継すべきだった…」
今にも泣きそうな顔で、局側の決定を悔やんだのである。実はこの試合、生中継はなく、深夜の録画放送のみ。歴史的な快挙を生で目撃したのは、後楽園ホールにいたおよそ2000人の観客だけだったのである。
(升田幸一)