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プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈野茂英雄がメジャーデビューで「トルネード旋風」〉

 サンフランシスコ湾のほとりにあるジャイアンツの本拠地・キャンドルスティック・パークには平日昼にも関わらず、大勢のファンが入場していた。

 1995年5月2日(現地時間)、背番号「16」をつけたロサンゼルス・ドジャースの26歳、投手・野茂英雄が歴史的な第1球をサンフランシスコ・ジャイアンツの1番打者・ルイスに投げ込んだ。

 右腕からの内角低めの真っすぐはボールだったが、ゆっくり振りかぶり、大きく腰を捻る「トルネード(竜巻)投法」に球場はドッと沸いた。

 近鉄を退団してドジャースに移籍した、野茂のメジャーデビューである。

 ルイスを速球で追い込み、得意のフォークで空振り三振に切って落とした。

 2死後、大リーグ屈指の中軸打線を迎えて3者連続四球で2死満塁のピンチを招いたが、6番クレイトンを空振りの三振に切って落とした。

「日本でやっていた投球をそのまま出したつもりです。投げられることに喜びを感じていた。打者のことはわからない。打者を見ないで全力投球をしました」

 MAX148キロの速球に伝家の宝刀フォーク、時々混ぜる大きなタテのカーブにジ軍選手たちは面食らった。

 5回を打者19人、球数91、毎回の7奪三振、1安打、4四球、無失点という圧巻のデビューだった。64年9月1日、南海(現ソフトバンク)に在籍していた20歳の左腕・村上雅則がSFジャイアンツの一員としてメッツ戦でデビュー、日本人初の大リーガーとなった。野球留学中だった。

 村上は翌65年、45試合に登板し4勝1敗8セーブをマークした。

 野茂はその村上以来、30年ぶりとなる日本人2人目の大リーガーとなった。

 名前の頭の「M」を取って「マッシー」の愛称は全米に広まったが、以後、「日本人メジャーリーガー」はまったく出現しなかった。

 日米野球は定期的に開催されていたもののエキシビションゲームの域を出ず、日米の実力差は歴然としていた。日本のファンにはメジャーは遠い世界の話だった。

 新日鉄堺に所属していた野茂は89年のドラフトで史上最多の8球団から指名を受けた。近鉄が交渉権を獲得した。

 野茂は90年、トルネード投法で旋風を巻き起こした。武器は剛速球とフォークだ。18勝を挙げ(8敗)、先発投手のタイトルを全て手中に収めた。

 監督の仰木彬は野茂の変則フォームの個性を大事に育てた。以降、4年連続最多勝と最多奪三振にも輝いた。

 だが93年、仰木に代わって監督に就任した鈴木啓示との間で調整法やフォームについて考え方の違いがあった。

 大リーグ移籍は祝福されて実現したわけではなかった。94年の契約更改で希望した、複数年契約と代理人契約交渉を拒否されて球団と対立した。

 結果、任意引退となり95年1月9日に退団して、もともと温めていたメジャーへの挑戦を明かした。

 近鉄時代の年俸1億4000万円を捨て、メジャーの最低年俸10万9000ドル(当時のレートで約930万円)でドジャースと契約した。

 野茂には「わがままだ」「どうせ通用しない」「裏切り者」「恩知らず」「二度と日本に帰ってくるな」とありとあらゆる罵声・非難が飛んだ。

 デビュー戦の朝、野茂は宿舎から監督のトム・ラソーダとともに真っ白なリンカーンのリムジンで球場に向かった。

 ド軍は30年ぶりにメジャーのマウンドに立つ日本人に敬意を払ったのである。

 ドジャースはこの試合、延長15回の末にサヨナラ負けしたが、メジャーに颯爽と登場したトルネードにファン、マスコミは騒然となった。

 3日(現地)付けのニューヨーク・タイムズは野茂を1面で取り上げた。

「野球というよりもバレエに近い独特な投球フォームの野茂が、長期ストで人気が低迷した大リーグの再興の起爆剤になるかもしれない」

 野茂は7試合目の6月3日、対メッツ戦で初勝利を挙げる。以後、ド軍の柱として活躍。球宴にも先発投手として出場した。

 この年、ナ・リーグ1位の236三振を奪い、13勝を挙げて地区優勝に貢献。日本人初の新人王に輝いた。

 メジャーの選手会は94年8月から95年にかけて長期のストライキを行い、その代償としてファンの信頼を失い、深刻な観客減に陥っていた。

 NYタイムズの記事の通り、野茂は全米に「トルネード旋風」を巻き起こし、MLBの大低迷を救った。「ノモ・マニア」と言われる熱狂的なファンも出現した。

 デビュー戦は日本時間3日午前4時半だったが、NHK衛星第一が異例の生中継をした。これをきっかけに日本人の大リーグへの関心も急激に高まった。

 マスコミの論調も好意的なものに変わった。手の平返しだった。

 マッシーの登板は1Aでの成績が評価されてのものだったが、野茂は何を言われようと挑戦者として、30年ぶりにメジャーへの厚い壁を破った。

「日本球界のエースはアメリカでも通用する」を実証し、日本人選手の実力を見せつけた。以後、平成から令和の時代に50人を軽く超える日本人大リーガーが誕生した。野茂の活躍があったからこそで、開拓者でもあった。

 ちなみに野茂は米国12年で8球団に在籍し、323試合に登板。123勝109敗の成績を残した。完全燃焼だった。

 野茂は代理人を通して大リーグに入った第1号となり、日本球界に一石を投じた。以後、日本人選手は代理人に頼った。これも功績と言えよう。

 今日の日本人大リーガーの隆盛を見るにつけ、95年5月2日は「歴史的な1日」だったと言っていい。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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