1993年5月19日の神宮球場、午後6時20分開始のヤクルト対広島6回戦は、日をまたいで決着を迎えようとしていた。
同点で迎えた延長14回裏2死満塁、絶好のサヨナラ機に打席に入ったのはミミズやセミを食べるなど奇行で知られたレックス・ハドラーだった。
佐々岡真司の初球を叩くと、打球は佐々岡の頭を越えて中前に抜けていった。
三塁から駆けてきた代走・飯田哲也が本塁を踏んだ。この時、20日午前0時6分。ヤクルトナインが飛び出して歓喜の輪ができた。
監督の野村克也が興奮しながら言った。
「こんな試合は記憶にない。長いことやっているが初めてだ」
山本浩二監督は悔しさを押し殺して「ま、ええやろ‥‥」と話すのが精一杯だった。
広:0 1 4 2 1 1 1 6 0 0 0 0 0 0=16
ヤ:2 0 11 0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 1=17
延長14回、試合時間は史上5回目の2日がかり5時間46分、1点差ゲームとしては史上最長である。
両軍合わせて33得点、10本塁打、42安打、14投手で552球、計43選手が出場。まさに球史に残る総力戦となった。
この年、連覇を目指すヤクルトは出足でつまずいた。開幕から3連敗し、4月は7勝9敗、5月に入っても4連敗を喫するなど、もたついていた。一方、広島は開幕6連勝、4月を11勝4敗と好ダッシュに成功し、首位を守っていた。
ヤクルトは前日の広島5回戦に勝って勝率を5割にしていたが、その首位の広島とは2ゲーム差で4位だった。
試合はヤクルトが荒木大輔、広島は新人の鈴木健の先発で始まった。
ヤクルトは1回、ジャック・ハウエルと池山隆寛の二塁打で2点を先制した。だが赤ヘルが、マーティ・ブラウン、野村謙二郎、江藤智の3本塁打で逆転。荒木を3回途中でKO、代わった金沢次男から小早川毅彦が本塁打を放ちリードを3点に広げた。
ヤクルトはその裏、池山が逆転の満塁弾を左翼上段に運んだ。さらに4点を追加すると、池山がこのイニング2本目となる3ランを放った。
1イニング2本塁打はプロ野球史上12人目、14回目の快挙、1イニング7打点は42年ぶり2人目。セ・リーグにとっては初めての歴史的な一発だった。
神宮は東京音頭の大合唱とビニール傘の花が狂喜乱舞した。 3回終了で8点差だ。普通は白タオル投入だ。だが、広島は粘り強く追い上げた。4回から7回まで小刻みに得点を重ねて14対10と4点差になった。
勢いは広島にあった。その裏、ヤクルトは2点を追加したが、広島は8回に7安打の猛攻で6点を奪って同点とした。
目と鼻の先の国立競技場では、ヴェルディ川崎対ジェフ市原の試合が行われていた。どちらも人気チームだ。この年は日本のプロスポーツ界に一大変革があった。プロサッカー・Jリーグの発足である。
4日前の5月15日、ヴェルディ川崎対横浜マリノスの開幕戦が国立競技場で行われた。6万人近い観衆を集めた。
テレビ中継(NHK)は関東地区で32.4%という驚異的な視聴率を叩き出した。同時間帯に放送されていた広島対巨人は17.5%、ほぼ2倍の数字だ。
「32%ですか。ウーン、20%はいくかと思っていましたが驚異的ですね。ウーン、そうですか‥‥」
巨人の監督・長嶋茂雄が驚きの表情で話した。前年、12年ぶりに巨人に復帰して、この年から指揮を執っていた。
長嶋の復帰にはプロ野球界全体の危機感があった。Jリーグが次代のプロスポーツ界の王者に名乗りを上げていた。それまでサッカーに関心のなかった若者たちが熱狂した。空前のブームだ。
巨人、プロ球界はサッカーブームに歯止めをかけて、プロ野球人気の復活を長嶋にかけていた。
球界の首脳たちは、Jリーグの大人気にショックの色を隠せなかった。スポーツ新聞、テレビなどのメディアはプロ野球に代わって大きくJリーグを報道していた。球界首脳の1人が言った。
「プロ野球は50年経って近代化の曲がり角に来ている」
プロ野球界は自信を失いかけていた。
9回終了時で4時間を超えていた。試合は延長戦に入ると一転、投手戦となった。
セ・リーグは延長15回で打ち切り、引き分けは再試合だった。残りはたっぷりある。何が起こるかわからない。
両軍ともに走者は出すが、山田勉と佐々岡が踏ん張った。
12回が終了した。電光掲示板には地下鉄銀座線とJR総武線の最終電車の時間が映し出された。神宮球場初だ。
国立競技場のサッカーの試合は午後9時前に終わっていた。神宮球場は終盤、外野席が無料になった。サッカーの試合を見終えた客がかなり入っていた。
そしてドラマチックな幕切れ。帰宅せずに最後まで見届けた1万2000人のファンは、球史に残る壮絶な〝殴り合い〟に酔いしれた。
ヤクルトにとって価値ある1勝だった。シーズン初めて貯金を「1」とし、首位の阪神、広島にゲーム差1と迫った。以降は順調に貯金を増やして連覇を飾る。
逆に広島は3連敗を喫して翌々日に3位に陥落すると、以降はズルズルと順位を落として最下位に終わっている。
プロ野球が日本のプロスポーツ界の先駆者として、その面白さ・醍醐味を存分に見せつけた1戦でもあった。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。