8歳から子役として活躍し、1970年のテレビドラマ「おくさまは18歳」で大ブレイクした岡崎友紀。約10年にわたって悩まされ続けた両股関節の不調も完治し、パワフルに活動中だ! 自分の世代のアイドルとして、その動向をウォッチし続ける天才テリーが飛鳥の今を考える!
テリー お元気ですか。
岡崎 はい、おかげさまで昔より元気です。両脚とも人工股関節になったものですから、歩き回れるようになりまして、うれしくて。
テリー 僕ね、前から友紀さんのユーチューブ見てるんですよ。だから、体調が悪かった、復活した、それから歌を歌ってるのも全部知ってるんです。
岡崎 あら。ほんとに?
テリー ほんとに。やっぱり僕らの時代のアイドルだからね。
岡崎 ありがとうございます。私ね、何でもすぐ忘れてしまうんですけど、テリーさんに最初にお会いした時のことはよく覚えてるんですよ。たしかIVS(テリーが所属していたテレビ制作会社)の番組で板東英二さんと2人で司会をやって、その時にフロアにいらしたんです。観覧のお客さんをすごい盛り上げたり、今まで見たことないようなディレクターだったんでビックリして。そうしたら、みんなが知ってる有名な方だって聞いて、「へぇ、面白い方ね」っていうのがすごい印象に残ってます。
テリー ああ、そうですか。うれしいな。友紀さん、司会と言えば日テレでもやってましたよね。
岡崎 「紅白歌のベストテン」?
テリー それももちろんですけど、「巨泉・前武ゲバゲバ90分!」。
岡崎 やってました。最高の番組でしたね。
テリー ねぇ。僕、あれを見て、お笑いのフットワークのいい人だなと思って。
岡崎 あの番組はコントの台本のホン読みが前日か前々日に延々あって、それから本番をやるという珍しい番組だったんです。普通はコントでリハとかないでしょう。
テリー あの時代はまだ余裕がありましたよね。
岡崎 それが15歳から16歳ですから、すごくいい場所にいられたなって思いますね。朝丘雪路さんや宍戸錠さんも時間を争って衣裳替えをしてましたから。ものすごい、いい雰囲気でした。
テリー いい時代ですよね。でね、今回はそんな友紀さんが「なんたって70歳!」という本を出されたということで。これはどういう経緯があったんですか。
岡崎 私が、脚も治したし、元気でいろんなことをやっているので、「みんなが元気になれる本を書いてほしい」みたいなお話を出版社からいただいたんです。「何かを教えて差し上げるほどのことはないんだけどな」っていう不安はありましたけど、長く生きてきた分、私が言ってることも何か役立つかもしれないと思って書いてみました。
テリー これ全部、自分でお書きになったんですよね。読ませてもらいましたけど、友紀さんはすごく聡明だね。
岡崎 まぁ、ありがたい。
テリー 宮城まり子さんや森繁久彌さんとの思い出話も書かれてますけど、その時の友紀さんの感じ方というのかな、それがすごく聡明ですよね。
岡崎 ありがとうございます。お二人とも本当にお世話になった方で。そういう方々と出会えたことが宝物だなと思います。
ゲスト:岡崎友紀(おかざき・ゆき)1953年、東京都生まれ。小学生の時に「東宝芸能学校児童科」に入学。8歳で舞台デビュー。以降、舞台、テレビドラマ、バラエティー番組など多方面で活躍。1970年にスタートした「おくさまは18歳」「なんたって18歳!」「ママはライバル」(すべてTBS系)の主演シリーズは高視聴率を記録した。また1970年には歌手デビューし、「私は忘れない」「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」などのヒット曲がある。1976年よりNPO法人の理事を歴任。動物保護と環境問題に取り組み、長くボランティアとしての活動を続ける。NEWアルバム「Now to Now」発売中。10月13日(日)、東京・渋谷「JZ Brat」にて「岡崎友紀 Live atJZ Brat Vol.2 Love&Peace&Smile」開催。最新著書「なんたって70歳!」(與陽館)発売中。