プロレスでは時として、試合中に悲劇が起こる。試合での事故が原因で死亡した三沢光晴(2009年)、頸髄を完全損傷した高山善廣(2017年)、最近でも頸髄を損傷した大谷晋二郎(2022年)など数年に一度、悲劇に見舞われている。
そんな当事者のひとりに、ハヤブサがいる。
筆者は2001年10月22日、ハヤブサが出場する所属団体FMWの後楽園大会の取材に訪れた。ハヤブサ個人を取材したのは数回だったが、彼が見せる技の素晴らしさは知っていた。空中殺法を得意とするレスラーは多いものの、彼のそれは次元が違った。高さ、技の難易度、空中姿勢の美しさは、トップクラスの体操選手を思わせた。
悲劇はこの日の試合終盤、ラ・ブファドーラという技を見せようとした際に起きる。勢いをつけてセカンドロープに両足で飛び込み、ロープの反動で高く舞い上がって後方宙返りをし、リングに倒れている選手をプレスする…という技だ。ハヤブサにとっては、難易度がそれほど高い技ではなかったはずである。
筆者は彼がリングを背にし、セカンドロープの反動でジャンプしようとした時、ロープの真下にいた。その瞬間、ズルリと足を滑らせたのがわかった。本来なら高く舞い上がり、後方宙返りをして、リングに倒れている相手選手をプレスするはずだった。
だが、ハヤブサは宙を舞うことなく、額の部分からリング中央に突っ込んだのだ。「ゴンッ!」という鈍い音がした。首が後ろに反り返った状態で落下したため、とてつもないダメージを受けたのは明らかだった。
ハヤブサは仰向けになったまま、ピクリとも動かなかった。ただごとではないと察知したレスラーや関係者十数人がリング上になだれ込んだ。会場内にはファンの悲鳴が響き渡る。
それでもハヤブサには意識があり、周囲にマイクを要求すると「必ずリングに戻ってきます」とファンに宣言してみせた。
「ハヤブサコール」が起こる中、救急車で東京・駿河台の日本大学病院に搬送された。関係者への取材のため、報道陣は病院の入り口前で待機していたものの、みな悲壮な表情で口をつぐんだ。「最悪の事態もあるかもしれない」と考えた。
早朝になってFMWの荒井昌一社長が報道陣の前に現れると、
「命に別条はない。頸髄を損傷したと思われる」
と説明。看板レスラーの大きなアクシデントに、その表情は憔悴しきっていた。
その後、ハヤブサを取材する機会はなかった。しかし、当初は首から下が全く動かない状態から、補助つきながら歩けるまでに回復したことには驚いた。血のにじむような過酷なリハビリがあったといい、2014年には杖を使って歩けるようになった。「奇跡的」と言われた。凄まじい執念と精神力だ。
ハヤブサの事故の原因として、ハードスケジュールによる練習不足などが挙げられた。しかし、天才ハヤブサにしてみれば「あの技を失敗するなんて…」という悔しさがあったと思う。「失敗したままでは終わらない、もう一度リングに上がり、ラ・ブファドーラを見せたい」という強い思いがあった…と勝手に想像している。
2016年3月3日、ハヤブサはくも膜下出血で世を去った。知人によれば「最後の最後までリング復帰を諦めていなかった」という。
(升田幸一)