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プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈「世界のホームラン王」にも「幻の本塁打」があった〉

 王貞治が放った打球は青空に高々と舞い上がった—。

 1980年11月16日、熊本・藤崎台球場での巨人対阪神、秋のオープン戦3連戦の最終戦だった。12日前の11月4日、世界の本塁打王は現役引退を表明した。ファン、球界、マスコミも、突然という印象を拭えなかった。惜しむ声は尽きなかった。

 この試合は王の現役最後の舞台となった。1回の第1打席は一邪飛、3回左犠飛、そして5回に第3打席を迎えた。泣いても笑っても現役最後の打席である。

 2万6000人の観客が見守る中、宮田典計の4球目のストレートを捉えた。打球は右翼席中段に落ちた。本塁打王らしい幕引きだった。

 公式戦通算本塁打は868本である。しかし、日本シリーズ29本、球宴13本、東西対抗1本、日米野球23本、オープン戦97本の本塁打を放っていた。

 推定飛距離115メートル弾は〝通算〞1032号となった。

「神様が打たせてくれたんでしょう」

 巨人ナインが弾かれたようにベンチを飛び出した。阪神ベンチも空っぽだ。

 阪神の内野手全員が三塁線に並んだ。竹之内雅史、岡田彰布、真弓明信らが拍手を送った。

 中西太監督がホームインした王に花束を渡した。

「良かったね。涙が出てきたよ。みんなで迎えに出たのは、打ち合わせたワケではなかった。本当に素晴らしいホームランだった」

 総立ちの観客の拍手は鳴りやまない。王は花束を大きく掲げて何度も応えた。

 王は言った。

「もうこれで凡打も三振も記録できない。それだけがちょっと寂しい」

 40歳の王は引退会見でこう語った。

「王貞治の打撃ができなくなったのです。向上心を目標に自分なりに努力してきたつもりですが、この夏頃から、今ひとつ燃え上がってこなくなった。ここで引退するのがボクにとってもファンとっても、いちばんいいことだと思い決断しました」

 王は後になって「43歳までやるつもりだった」と振り返っている。仮に現役を続行していたら、公式戦通算本塁打は950本前後、3000本安打(80年引退時2786安打)を達成していたかもしれない。

 57年、王は早稲田実業の2年生エースとして、選抜大会で全国制覇を果たした。夏の選手権では、寝屋川高相手に延長11回ノーヒットノーランを達成した。

 翌58年、3年春の選抜で2本の本塁打を放った。だが、夏の甲子園・東京予選の決勝で明治高に逆転負けした。これで進路が、大学進学からプロ入りに変わった。59年に巨人入りすると、打者1本になった。プロ入り初安打こそ本塁打だったが、3年間は成績が伸びなかった。

 川上哲治監督は王の指導を荒川博打撃コーチに託した。「荒川道場」の厳しい特訓は語り尽くされている。終わることを知らない素振り、時には日本刀を使ってスイングの軌道を体に叩き込んだ。

 62年7月1日の大洋(現DeNA)戦で初めて一本足打法を披露して、先発の稲川誠から本塁打を放った。

 遠くに飛ばす。この恐るべき潜在能力が開花した。この年、38本塁打で本塁打王を獲得し、「王時代」の幕開けとなった。

 64年5月3日の阪神戦で4打席4本塁打を放ち、55本のシーズン最多記録を作った。73、74年に連続三冠王に輝いた。

 62年から74年まで13年連続本塁打王、75年は阪神・田淵幸一にその座を奪われたものの、翌76年、77年と奪い返している。

 77年は50本を打ったが、78年39本、79年33本、80年は打点84ともどもチームトップながら30本と本数を減らした。

「王貞治の打撃ができなくなった」

 30本塁打を打ちながらの言葉である。いかに王の打撃に対する目標・理想が高かったかを物語っている。

 右足を上げて構えた時の美しい打撃フォームから本塁打を量産する。アメリカのメディアが取材に殺到し、「フラミンゴ打法」と名付けた。

 ベーブ・ルースの714本、ハンク・アーロンの755本を抜き、868本まで伸ばしてギネスブックにも載った。

 その「世界の王」が本塁打を取り消されたことがある。本塁打のチョンボといえば、長嶋茂雄が新人の58年、一塁ベースを踏み忘れた一件が有名だ。

 66年11月14日、日米野球・第16戦、小倉球場での巨人対ドジャース戦だった。

 巨人は3回裏に1死一、二塁のチャンスをつかみ、4番の王がウィルハイトから左中間席に弾き返した。

 ところが一塁ベースを回ったところで、一塁走者・柴田勲を追い越してしまった。実はフェンスギリギリの打球で柴田がハーフウェイで見守っていた。そうとは知らず全力疾走。うっかりやってしまったのだ。

 王は一塁の外国人審判から「アウト!」の声に振り向いて「えっ、オレがアウトなの?」とビックリし、「失敗、失敗」と照れながらベンチに帰った。

 これはシングルヒットの扱いとなり打点は2。冷静沈着な王にとって生涯ただ1度の「幻の本塁打」となった。

 ちなみに同試合はこの2点が効いて、新人・堀内恒夫がメジャー相手に1失点完投勝利を挙げている。80年、巨人に激震が走った。長嶋監督が解任されたのである。巨人はONという2本の巨木を失った。

 王は翌81年から復帰した藤田元司新監督の元で助監督に就任。牧野茂ヘッドコーチとともに、いわゆる「トロイカ体制」で巨人再建の一翼を担うのである。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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